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東條遺跡ほか

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/16155
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.16155
引用表記 財団法人長野県文化振興事業団長野県埋蔵文化財センター 2012 『長野県埋蔵文化財センター発掘調査報告書92:東條遺跡ほか』国土交通省関東地方整備局長野国道事務所他
財団法人長野県文化振興事業団長野県埋蔵文化財センター 2012 『東條遺跡ほか』長野県埋蔵文化財センター発掘調査報告書92
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書名 東條遺跡ほか
発行(管理)機関 (一財)長野県文化振興事業団長野県埋蔵文化財センター - 長野県
書名かな ひがしじょういせきほか
副書名 一般国道18号 (坂城更埴バイパス) 埋蔵文化財発掘調査報告書 3 ー千曲市内その3-
巻次 本文編
シリーズ名 長野県埋蔵文化財センター発掘調査報告書
シリーズ番号 92
編著者名
編集機関
財団法人長野県文化振興事業団長野県埋蔵文化財センター
発行機関
国土交通省関東地方整備局長野国道事務所
長野県埋蔵文化財センター
発行年月日 20120321
作成機関ID 20000
郵便番号 3888007
電話番号 0262935926
住所 長野県長野市篠ノ井布施高田963‐4
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 峯謡坂遺跡
遺跡名かな みねうたいざかいせき
本内順位
遺跡所在地 長野県千曲市八幡字謡坂
所在地ふりがな ながのけんちくましやわたあざうたいざか
市町村コード 20216
遺跡番号 105
北緯(日本測地系)度分秒 363045
東経(日本測地系)度分秒 1380544
北緯(世界測地系)度分秒 363045
東経(世界測地系)度分秒 1380543
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.5125 138.095277
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20030708-20031010
20040413-20040817
20061010-20061025
調査面積(㎡)
5190
調査原因 一般国道18号(坂城更埴バイパス)建設に伴う発掘調査
遺跡概要
種別
時代
弥生
主な遺構
土器棺墓2基
主な遺物
土器
石器
特記事項 弥生前期と後期の土器棺墓
種別
集落
時代
飛鳥白鳳
主な遺構
竪穴住居跡
掘立柱建物跡
主な遺物
土器
特記事項
種別
集落
時代
平安
主な遺構
竪穴住居跡
土坑
土坑墓
主な遺物
土師器
須恵器
灰釉陶器
緑釉陶器
鉄製品
特記事項 9世紀前後の須恵器壺G類、円面硯、鉄製鍬先など
遺跡名 西中曽根遺跡
遺跡名かな にしなかそねいせき
本内順位
遺跡所在地 長野県千曲市八幡字西中曽根
所在地ふりがな ながのけんちくましやわたあざにしなかそね
市町村コード 20216
遺跡番号 106
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 363041
東経(世界測地系)度分秒 1380552
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.511388 138.097777
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20020422-20020918
20040629-20040817
調査面積(㎡)
4401
調査原因 一般国道18号(坂城更埴バイパス)建設に伴う発掘調査
遺跡概要
種別
その他
時代
弥生
主な遺構
土坑
主な遺物
土器
特記事項 後期後半の墓跡の可能性がある。
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
竪穴住居跡
掘立柱建物跡
土坑
溝跡
主な遺物
前期~中期の土器・石器
特記事項 小型丸底土器、球胴甕、有稜高坏など
遺跡名 東中曽根遺跡
遺跡名かな ひがしなかそねいせき
本内順位
遺跡所在地 長野県千曲市八幡字東中曽根
所在地ふりがな ながのけんちくましやわたあざひがしなかそね
市町村コード 20216
遺跡番号 89
北緯(日本測地系)度分秒 363049
東経(日本測地系)度分秒 1380557
北緯(世界測地系)度分秒 363038
東経(世界測地系)度分秒 1380559
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.510555 138.099722
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20020422-20021216
調査面積(㎡)
5146
調査原因 一般国道18号(坂城更埴バイパス)建設に伴う発掘調査
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
竪穴住居跡
掘立柱建物跡
土坑
主な遺物
後期(土器、石器)
特記事項 赤彩大形壺、櫛描文の甕、磨製石包丁など
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
竪穴住居跡
掘立柱建物跡
土坑
主な遺物
前期(土器)
特記事項
遺跡名 東條遺跡
遺跡名かな ひがしじょういせき
本内順位
遺跡所在地 長野県千曲市八幡字東條
所在地ふりがな ながのけんちくましやわたあざひがしじょう
市町村コード 20216
遺跡番号 118
北緯(日本測地系)度分秒 363038
東経(日本測地系)度分秒 1380616
北緯(世界測地系)度分秒 363038
東経(世界測地系)度分秒 1380615
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.510555 138.104166
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20020422-20021125
20030414-20030725
20050801-20051209
20060403-20061215
20070402-20071130
調査面積(㎡)
15666
調査原因 一般国道18号(坂城更埴バイパス)建設に伴う発掘調査
遺跡概要
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
竪穴住居跡
掘立柱建物跡
土坑
主な遺物
土師器
須恵器
石器
特記事項 殊文鏡、初期須恵器杯
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
竪穴住居跡
掘立柱建物跡
土坑
主な遺物
土師器
須恵器
灰釉陶器
緑釉陶器
石器
鉄製品
木製品
特記事項 8世紀から9世紀の墨書土器、円面硯、漆紙様付着物
種別
集落
時代
鎌倉
南北朝
室町
主な遺構
掘立柱建物跡
方形竪穴建物跡
敷石遺構
井戸
主な遺物
中世の陶磁器
石製品
漆器類
木製品
鉄製品
特記事項 13世紀から16世紀の青磁、漆器(椀、皿、櫛)、呪符木簡、烏帽子など
要約 【峯謡坂遺跡】
 峯謡坂遺跡は、三峯山の土石流堆積物上に立地し、眼下に八幡遺跡群を望む。古墳時代終末に集落形成がなされ、奈良時代の空白期をへて、奈良末から平安時代に再び集落が形成され10世紀まで存続する。開墾用と観られる鉄製鍬先を持ち、かつ豊富な緑釉陶器を保有した生産集落である。
【西中曽根遺跡】
西中曽根遺跡・東中曽根遺跡・東條遺跡は、いずれも姨捨土石流堆積物上に立地する。田ごと観音で知られる四十八枚田の眼下に西中曽根と東中曽根遺跡はあり、弥生時代後期終末と古墳時代前期末~中期初頭の集落である。古墳中期初頭の居住域は西中曽根遺跡に中心があり、中・小型の住居跡2~3軒で集落の単位が形成される。
【東中曽根遺跡】
西中曽根遺跡・東中曽根遺跡・東條遺跡は、いずれも姨捨土石流堆積物上に立地する。田ごと観音で知られる四十八枚田の眼下に西中曽根遺跡と東中曽根遺跡はあり、弥生時代後期終末と古墳時代前期末~中期初頭の集落である。弥生後期の居住域は東中曽根遺跡に中心があり、1軒の大型住居跡と2~3軒の中・小型住居跡、掘立柱建物跡で単位が形成される。
【東條遺跡】
西中曽根遺跡・東中曽根遺跡・東條遺跡は、いずれも姨捨土石流堆積物上に立地する。名勝「姨捨の棚田」の眼下に位置するのは、東條遺跡であり、広域にわたり古墳時代終末から平安時代までの集落が営まれる。当地域の拠点となる農業生産集落であり、古墳後期終末には大型竪穴住居跡1軒と中・小型の住居跡2~3軒の単位が3~4つ組み合わさって、ひとつの生産集落を構成する。奈良時代以降、ことに更科郡衙の整備が進む時期に至ると、東條遺跡の住居跡数は減少し、集落規模を縮小して9世紀末まで存続する。その後に300年の空白期を経て、中世前期に再び集落形成がなされる。鎌倉時代の集落は掘立柱建物跡と井戸跡を中心に町屋的な形成がなされ、武水別神社の門前、一本松街道脇に集落が発達する。室町時代には集落構造が変化し、礎石建物跡や石組の井戸、方形竪穴建物跡、さらには石敷きの道路状施設などが作られる。漆器の椀・皿類や輸入陶磁器、渡来銭などが豊富に出土し、呪符木簡(蘇民将来符など)の出土もある。有力者の屋敷地が形成され、門前の集落が整備される。

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