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七尾市 千野遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/122347
引用表記 公益財団法人石川県埋蔵文化財センター 2022 『一般国道470号能越自動車道七尾氷見道路建設に係る埋蔵文化財発掘調査報告書:七尾市 千野遺跡』石川県教育委員会他
公益財団法人石川県埋蔵文化財センター 2022 『七尾市 千野遺跡』一般国道470号能越自動車道七尾氷見道路建設に係る埋蔵文化財発掘調査報告書
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ファイル
書名 七尾市 千野遺跡
発行(管理)機関 (公財)石川県埋蔵文化財センター - 石川県
書名かな ななおし ちのいせき
副書名
巻次
シリーズ名 一般国道470号能越自動車道七尾氷見道路建設に係る埋蔵文化財発掘調査報告書
シリーズ番号
編著者名
編集機関
公益財団法人石川県埋蔵文化財センター
発行機関
石川県教育委員会
公益財団法人石川県埋蔵文化財センター
発行年月日 20220322
作成機関ID 17201
郵便番号 9201336
電話番号 0762294477
住所 石川県金沢市中戸町18-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 千野遺跡
遺跡名かな ちのいせき
本内順位
遺跡所在地 石川県七尾市千野町地内
所在地ふりがな いしかわけんななおしちのまちちない
市町村コード 17202
遺跡番号 217500
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 370105
東経(世界測地系)度分秒 1365730
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 37.018055 136.958333
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20111109-20120110
20120425-20121115
調査面積(㎡)
1000
3400
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
平地建物
方形周溝墓
土坑
小穴
主な遺物
弥生土器
金属製品
石製品
特記事項 平地建物より玉作関連遺物が出土。鉄鏃が出土
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
竪穴建物
掘立柱建物
土坑
小穴
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項 平面方形を呈する竪穴建物を多数確認
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
掘立柱建物
木棺墓
土坑
小穴
道路状遺構
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項 平安時代末頃と推定される木棺墓を検出
要約 七尾市街、七尾城山から西側に伸びる低丘陵帯に立地する弥生時代中期~後期、古墳時代、平安時代を主体とした遺跡である。
弥生時代は中期後半の平地建物3棟・方形周溝墓2基を確認した。平地建物からは管玉未製品や石製工具等の玉作り関係の石製品がまとまって出土し、石材等で他地域のものが搬入されている様相がうかがえる。方形周溝墓の内1基は内部に3基の埋
葬施設(木棺墓)が確認できた。古墳時代は前期~中期および後期の2時期に多くの竪穴建物が営まれ、後期には掘立柱建物も併存する状況が確認できた。古代は9世紀・10世紀に掘立柱建物が営まれ、配置に計画性は見られないが、大型の東西棟建物の存在からそれなりの格式を持つ集落であったことがうかがえ、周辺にその存在が推定される能登国府及び能登郡家に関連するものと考える。時期不明の道路状遺構はその延長が古府・国分遺跡や栄町遺跡で見られる道路状遺構と重なることから、平安時代の当地における地割再編に係る遺構として注目される。やや時期は離れるが、11世紀末頃に単独で木棺墓が営まれている。

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