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黒瀬大屋遺跡発掘調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/21909
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.21909
引用表記 株式会社アーキジオ 2018 『富山市埋蔵文化財調査報告94:黒瀬大屋遺跡発掘調査報告書』富山市教育委員会
株式会社アーキジオ 2018 『黒瀬大屋遺跡発掘調査報告書』富山市埋蔵文化財調査報告94
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書名 黒瀬大屋遺跡発掘調査報告書
発行(管理)機関 富山市 - 富山県
書名かな くろせおおやいせきはっくつちょうさほうこくしょ
副書名 宅地開発に伴う埋蔵文化財発掘調査
巻次
シリーズ名 富山市埋蔵文化財調査報告
シリーズ番号 94
編著者名
編集機関
株式会社アーキジオ
発行機関
富山市教育委員会
発行年月日 20180331
作成機関ID 16201
郵便番号 939-2798
電話番号 076-465-2146
住所 富山県富山市婦中町速星754番地 婦中行政サービスセンター本館3階
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 黒瀬大屋遺跡
遺跡名かな くろせおおやいせき
本内順位
遺跡所在地 富山県富山市黒瀬
所在地ふりがな とやまけんとやましくろせ
市町村コード 16201
遺跡番号 0549
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 363927
東経(世界測地系)度分秒 1371218
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.6575 137.204999
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20170719-20170927
調査面積(㎡)
432.57
調査原因 宅地造成
遺跡概要
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
掘立柱建物
竪穴建物
土坑
ピット
竪穴状遺構
不明遺構
主な遺物
土師器
須恵器
緑釉陶器
灰釉陶器
墨書土器(土師器
須恵器)
刻書土器(須恵器)
土錘
特記事項 掘立柱建物SB01が、廂付建物と考えられる。墨書土器・刻書土器のほかに、施釉陶器(緑釉陶器・灰釉陶器)の出土が認められた。

主な時代:奈良から平安
要約 黒瀬大屋遺跡は、常願寺川から神通川に向かって西流する土川の西岸、東に熊野川に挟まれた扇状地に立地する奈良~平安時代の集落遺跡である。本調査区(A区・B区)では、一面廂(片廂)掘立柱建物1棟、竪穴建物3棟、溝31条、土坑46基、ピット251基、不明遺構20基を確認した。遺物は、土師器の坏・椀・甕・小型甕・鍋等、須恵器の杯・椀・蓋・甕・壺等が出土した。遺構外から、施釉陶器(緑釉陶器・灰釉陶器)も僅かであるが出土している。また、土錘が44点出土した。土師器や須恵器の杯・椀を中心に、墨書土器・刻書土器が22点あり、特に「中田」と墨書されたものが推定を含めて4点あった。限定された調査区のため集落としての全体像は不明であるが、出土遺物から遺構の年代は、概ね8世紀後半~9世紀前半、9世紀中頃~後半、9世紀後半~10世紀初めの3時期の変遷がある。また、包含層からではあるが、7世紀中頃の須恵器蓋が出土しており、7世紀代には集落の造営が開始されていたと考えられる。

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