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野下・新開遺跡発掘調査報告

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/16477
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.16477
引用表記 公益財団法人富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所 2016 『富山県文化振興財団埋蔵文化財発掘調査報告70:野下・新開遺跡発掘調査報告』公益財団法人富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所
公益財団法人富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所 2016 『野下・新開遺跡発掘調査報告』富山県文化振興財団埋蔵文化財発掘調査報告70
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書名 野下・新開遺跡発掘調査報告
発行(管理)機関 (公財)富山県文化振興財団埋蔵文化財調査課 - 富山県
書名かな のじた・しんかいいせきはっくつちょうさほうこく
副書名 主要地方道小杉婦中線道路改良事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告
巻次 2
シリーズ名 富山県文化振興財団埋蔵文化財発掘調査報告
シリーズ番号 70
編著者名
編集機関
公益財団法人富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所
発行機関
公益財団法人富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所
発行年月日 20160311
作成機関ID
郵便番号 9300887
電話番号 0764424229
住所 富山県富山市五福4384-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 野下・新開遺跡
遺跡名かな のじた・しんかいいせき
本内順位
遺跡所在地 富山県富山市平岡・境野新
所在地ふりがな とやまけんとやましひらおか・さかいのしん
市町村コード 16201
遺跡番号 523
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 364023.9
東経(世界測地系)度分秒 1370747.84
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.673305 137.129955
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20130701-20130820
20140611-20140724
調査面積(㎡)
5220
調査原因 主要地方道小杉婦中線道路改良事業に伴う事前調査
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
古代(細分不明)
主な遺構
縄文-落とし穴状土坑
土坑
例倒木痕
主な遺物
縄文-縄文土器
石製品
特記事項 縄文-狩猟に使用されたとみられる落とし穴状土坑が確認された
時代 : 古代以降
種別
時代
主な遺構
古代以降-焼壁土坑
土坑
主な遺物
古代以降-土師器
須恵器
近世陶磁器
特記事項 古代以降-古代の焼壁土坑を確認
要約 野下・新開遺跡は,富山県のほぼ中央部を南北に連なる呉羽丘陵と射水丘陵の間の段丘上に位置している。周辺には平岡遺跡,池多東遺跡,北押川C遺跡など多数の遺跡が集中し,特に南接する平岡遺跡は縄文時代前期後葉に営まれた環状集落であることが判明している。野下・新開遺跡の縄文時代の遺構は希薄で土坑や落とし穴状土坑がわずかに認められる。また,土器などの出土遺物も少量であることから,集落の縁辺部であり,狩猟の場であったと推定される。古代以降では古代の焼壁土坑が確認されており,遺跡内では,製陶・製鉄・製炭に関連した遺構が展開していたことが推定される。

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