奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
39748 件
( 発行機関数 736 機関 )
現在の書誌登録数
132279 件
( 前年度比 + 999 件 )
( 発行機関数 1911 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147029 件
( 前年度比 + 1554 件 )
現在の文化財論文件数
119910 件
( 前年度比 + 849 件 )
現在の文化財動画件数
1232 件
( 前年度比 + 43 件 )
( 登録機関数 110 機関 )
文化財イベント件数
1129 件
( 前年度比 + 77 件 )
※過去開催分含む

川崎市文化財調査集録

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/103977
引用表記 川崎市教育委員会生涯学習部文化財課 2007 『川崎市文化財調査集録』川崎市教育委員会
川崎市教育委員会生涯学習部文化財課 2007 『川崎市文化財調査集録』
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=|last=川崎市教育委員会|title=川崎市文化財調査集録|origdate=2007-03-31|date=2007-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/103977|ncid=AN00160649|volume=42}} 閉じる
ファイル
書名 川崎市文化財調査集録
発行(管理)機関 川崎市 - 神奈川県
書名かな かわさきし ぶんかざい ちょうさ しゅうろく
副書名
巻次 42
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
川崎市教育委員会生涯学習部文化財課
発行機関
川崎市教育委員会
発行年月日 20070331
作成機関ID
郵便番号
電話番号
住所
報告書種別
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
タイトル 川崎市域の中世の古道について
英語タイトル
著者
中西 望介
ページ範囲 1 - 33
NAID
都道府県
時代
文化財種別
遺跡種別
遺物(材質分類)
学問種別
テーマ
他の電子リソース
引用表記
wikipedia 出典テンプレート : {{Citation ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Citation|first=望介|last=中西|contribution=川崎市域の中世の古道について|title=川崎市文化財調査集録|date=2007-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/103977|ncid=AN00160649|volume=42}} 閉じる
抄録(内容要約)
所収遺跡
遺跡名 川崎市緑ヶ丘霊園内遺跡第4地点
遺跡名かな かわさきしみどりがおかれいえんないいせき
本内順位
遺跡所在地 川崎市高津区上作延字北原26-2
所在地ふりがな かわさきしたかつくかみさくのべあざきたはら
市町村コード 13134
遺跡番号 津田山-18 高津区-31
北緯(日本測地系)度分秒 353603
東経(日本測地系)度分秒 1393536
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.6041 139.5901
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20060224-20060318
調査面積(㎡)
890
調査原因 墓地整備
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
土杭25
主な遺物
土器 早期(撚糸文系土器)
前期(諸磯c式)
中期
後期(磨製石斧・磨石)
特記事項
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
竪穴住居址1
主な遺物
土器(壺・甕・高杯・鉢)
石器(磨石)
特記事項 弥生時代後期
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
竪穴住居址4
溝状遺構1
主な遺物
土師器(甕・甑・杯・鉢)
須恵器(甕)
土製品(手捏土器・模造鏡・玉・不明)
特記事項 4号住居址では、竃右脇の貯蔵穴から完形の土師器杯・鉢が7個体まとまって出土した。また同住居跡床下面からは土製模造鏡が出土している。
種別
集落
時代
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
溝状遺構3
主な遺物
陶器
磁器
土器
特記事項 今回調査された緑ヶ丘霊園内遺跡第4地点は、多摩丘陵の北東側、南東に向かって張り出す台地平坦部のほぼ中央、川崎市緑ヶ丘霊園内の中央部分にあたる。今回の調査地点は平成5年に調査が実施された第3地点の南西側にある。
縄文時代では、土杭28基が検出され、このうち26基が陥し穴と考えられるものである。時期は判然としないが、一部で撚糸文系土器が出土していることから。大半が縄文時代早期の所産と考えられる。
弥生時代後期では住所址一軒が検出された。在地系ドキヲ主体とするが吉ヶ谷土器が伴出して出土している。遺物の様相から弥生時代後期中葉ー後半の所産であると考えられる。
古墳時代後期では4件の住居跡が検出されたが、全体的に依存状況が悪く、比較的に遺存状況がよかったのは4号住居址のみである。4号住居址は日田壁に竈を有する住居跡で、床面ー下層にかけてまとまった遺物の出土が認められた。本址では竈の左右脇から1基ずつ貯蔵穴と思われる施設が確認されたが、右脇に存在する貯蔵穴からは、完形の土師器杯6点・鉢1点が並べられた状況で出土しているが、並べられた土器の口縁部と床面の高さが揃えられており、住居廃棄の際に意図的に置かれた可能性が考えられる。また、本住居跡の床下面から土製模造鏡が出土している。遺物出土状況から判断して、地鎮が執り行われたものと考えられる。遺物のようそうから6世紀後半の所産と考えられる。
このほか、1号溝状遺構は、断面が薬研形を呈するもので覆土の様相や出土遺物から古代ー中世の所産と考えられ、第3地点で検出されているSD-01・03・04のいずれかと同一である可能性が考えられる。他の3条の溝状遺構は出土遺物が少なく、時期は判然としないが、覆土の様相から近世以降の所産と考えられる。
要約

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 77
ファイルダウンロード数 : 0

全国のイベント

外部出力