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中依知遺跡群(第2次調査)

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/27840
引用表記 かながわ考古学財団 2014 『かながわ考古学財団調査報告297:中依知遺跡群(第2次調査)』かながわ考古学財団
かながわ考古学財団 2014 『中依知遺跡群(第2次調査)』かながわ考古学財団調査報告297
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ファイル
書名 中依知遺跡群(第2次調査)
発行(管理)機関 (公財)かながわ考古学財団 - 神奈川県
書名かな なかえち いせきぐん だい2じ ちょうさ
副書名 一般国道468号(さがみ縦貫道路)及び246号(厚木秦野道路)建設事業に伴う発掘調査
巻次
シリーズ名 かながわ考古学財団調査報告
シリーズ番号 297
編著者名
編集機関
かながわ考古学財団
発行機関
かながわ考古学財団
発行年月日 20140218
作成機関ID
郵便番号 232-0033
電話番号 045-252-8689
住所 神奈川県横浜市南区中村町3丁目191番地1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 中依知遺跡群
遺跡名かな なかえちいせきぐん
本内順位
遺跡所在地 神奈川県厚木市中依知地先
所在地ふりがな かながわけんあつぎしなかえち
市町村コード 14212
遺跡番号 33・94・156・157・158
北緯(日本測地系)度分秒 352843
東経(日本測地系)度分秒 1392211
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.4819 139.3666
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20100701-20110228
20110701-20110715
20111101-20120131
20120701-20120915
調査面積(㎡)
4297
766
1235
828
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
その他
時代
中世(細分不明)
主な遺構
地下式坑5
掘立柱建物址1
井戸3
土壙墓14
土坑84
主な遺物
陶磁器
かわらけ
金属製品
銭貨
特記事項 16号地下式坑内より穿孔された鋺形銅製品が出土
種別
散布地
時代
奈良
平安
主な遺構
道路状遺構2
土坑9
溝状遺構1
竪穴状遺構3
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項 第1次調査で発見された道路状遺構の続き
種別
散布地
時代
古墳
主な遺構
横穴墓4
主な遺物
特記事項 墓道の続き部分
種別
その他の生産遺跡
時代
縄文
主な遺構
集石1
土坑20
ピット2
主な遺物
土器
石器
特記事項 狩り場
要約 [中依知遺跡群 要約]
中依知遺跡群は相模川右岸の河岸段丘上に立地し、縄文時代・古墳時代後期・平安時代〜中・近世と複数の時代にわたる遺構・遺物が確認された。縄文時代の調査では、陥穴状土坑が発見され、狩猟場など当該期の土地利用の様子が窺える。古墳時代では、第1次調査で発見された2号〜4号横穴墓の墓道の続きが発見され、その規模が推定できた。奈良・平安時代の調査では、第1次調査で発見された伝道と考えられる長大な道路状遺構の続きが捉えられ、更に西方へと延びていた。中世以降の調査では、低位段丘の東側台地上に5基の地下式坑が発見され、第1次調査で発見された地下式坑群の一部を成していた。また、地下式坑群の南西側に、同時期と考えられる土壙墓群の存在がほぼ明確となった。。 

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