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中依知遺跡群

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/24614
引用表記 かながわ考古学財団 2007 『かながわ考古学財団調査報告205:中依知遺跡群』かながわ考古学財団
かながわ考古学財団 2007 『中依知遺跡群』かながわ考古学財団調査報告205
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ファイル
書名 中依知遺跡群
発行(管理)機関 (公財)かながわ考古学財団 - 神奈川県
書名かな なかえち いせきぐん
副書名 宮ノ越・宮の前遺跡、桜樹古墳群、中林横穴墓群/一般国道468号(さがみ縦貫道路)および246号(厚木秦野道路)建設事業に伴う厚木中依知地区の発掘調査
巻次
シリーズ名 かながわ考古学財団調査報告
シリーズ番号 205
編著者名
編集機関
かながわ考古学財団
発行機関
かながわ考古学財団
発行年月日 20070330
作成機関ID
郵便番号 232-0033
電話番号 045-252-8689
住所 神奈川県横浜市南区中村町3丁目191番地1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 中依知遺跡群
遺跡名かな なかえちいせきぐん
本内順位
遺跡所在地 神奈川県厚木市中依知先403他
所在地ふりがな かながわけんあつぎしなかえちさき403ほか
市町村コード 14212
遺跡番号 33 156 158
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 352835.1
東経(世界測地系)度分秒 1392212.4
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.476416 139.370111
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20010701-20031231
調査面積(㎡)
31855
調査原因
遺跡概要
種別
集落
田畑
その他
時代
室町
戦国
安土桃山
江戸
主な遺構
塚2
礎石建物址1
溝12
集石8
井戸2
土坑墓10
地下式坑12
ムロ2
土坑2
主な遺物
陶磁器
土製品
金属製品
石製品
銭貨
人骨
特記事項 地下式坑内の土坑より銭貨9706枚出土 塚は古墳を転用したもの

遺跡名:中依知遺跡群(宮ノ越・宮の前遺跡 桜樹古墳群)
遺跡名かな:なかえちいせきぐん(みやのこし・みやのまえいせき さくらぎこふんぐん)
種別
集落
その他
時代
平安
主な遺構
竪穴住居址15
溝状遺構9
道状遺構2
土坑92
主な遺物
土師器
須恵器
灰釉陶器
緑釉陶器
金属製品
石製品
特記事項 道路状遺構は検出長240〜270m
種別
古墳
横穴
時代
古墳
主な遺構
円墳8
横穴墓4
主な遺物
土師器
須恵器
石製品
金属製品
玉類
人骨
特記事項 1号噴周溝からはじき耳付壺完形で出土 5基の石室から直刀等金属製品・玉類等豊富に出土
種別
集落
散布地
その他
時代
縄文
主な遺構
集石2
土坑118
ピット群2
主な遺物
土器
石器
特記事項 種別:遺物散布地 その他
要約 [中依知遺跡群(宮ノ越・宮の前遺跡 桜樹古墳群) 要約]
中依知遺跡群は相模川中流域の西側河岸段丘上に位置する。古墳を再利用した近世の塚周辺は、主に耕作地であったと考えられる。中世以降は段丘平坦面に地下式坑群が造られ、大量の埋蔵銭や人骨、石製品、有機物などが出土している。平安時代には、近隣にみられない大規模な道状遺構が造られ、廃棄後に集落が営まれている。古墳群からは豊富な金属製品や類例の無い土師器耳付壺が出土している。また、近接する古墳群と横穴墓群の調査を行い、その対比が可能である。\0\0

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