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倉見川登遺跡 第1次調査

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/27941
引用表記 (公財)かながわ考古学財団 2015 『かながわ考古学財団調査報告309:倉見川登遺跡 第1次調査』(公財)かながわ考古学財団
(公財)かながわ考古学財団 2015 『倉見川登遺跡 第1次調査』かながわ考古学財団調査報告309
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ファイル
書名 倉見川登遺跡 第1次調査
発行(管理)機関 (公財)かながわ考古学財団 - 神奈川県
書名かな くらみかわのぼりいせき だい1じちょうさ
副書名 一般国道468号(さがみ縦貫道路)建設事業に伴う発掘調査
巻次
シリーズ名 かながわ考古学財団調査報告
シリーズ番号 309
編著者名
編集機関
(公財)かながわ考古学財団
発行機関
(公財)かながわ考古学財団
発行年月日 20151225
作成機関ID
郵便番号 232-0033
電話番号 045-252-8689
住所 神奈川県横浜市南区中村町3丁目191番地1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 倉見川登遺跡(1区)
遺跡名かな くらみかわのぼりいせき
本内順位
遺跡所在地 神奈川県高座郡寒川町倉見3831-2他
所在地ふりがな かながわけんこうざぐんさむかわまちくらみ
市町村コード 14321
遺跡番号 70
北緯(日本測地系)度分秒 352340
東経(日本測地系)度分秒 1392240
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.3977 139.3746
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20090116-20090315
調査面積(㎡)
357
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
集落
時代
近世(細分不明)
近代(細分不明)
主な遺構
堤防1
溝状遺構3
主な遺物
陶磁器
かわらけ
金属製品
石製品
特記事項 弥生時代後期〜古墳時代前期の集落
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
溝状遺構3
主な遺物
かわらけ
特記事項
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
炭化物集中1
ピット3
主な遺物
土師器
須恵器
灰釉陶器
特記事項
種別
古墳
時代
古墳
主な遺構
円墳1
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項
種別
集落
時代
弥生
古墳
主な遺構
竪穴住居跡9
炉2
土坑1
ピット2
主な遺物
土器
石器
特記事項
遺跡名 倉見川登遺跡(2区)
遺跡名かな くらみかわのぼりいせき
本内順位
遺跡所在地 神奈川県高座郡寒川町倉見3831-2他
所在地ふりがな かながわけんこうざぐんさむかわまちくらみ
市町村コード 14321
遺跡番号 70
北緯(日本測地系)度分秒 352340
東経(日本測地系)度分秒 1392240
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.3977 139.3746
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20120816-20121015
調査面積(㎡)
24
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
溝状遺構2
ピット2
主な遺物
かわらけ
陶器
特記事項 弥生時代後期〜古墳時代前期の集落
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
主な遺物
土師器
須恵器
灰釉陶器
特記事項
種別
時代
古墳
主な遺構
円墳1
溝状遺構1
土坑2
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項
種別
集落
時代
弥生
古墳
主な遺構
竪穴住居跡6
主な遺物
土器
石器
特記事項
遺跡名 倉見川登遺跡(3区)
遺跡名かな くらみかわのぼりいせき
本内順位
遺跡所在地 神奈川県高座郡寒川町倉見3831-2他
所在地ふりがな かながわけんこうざぐんさむかわまちくらみ
市町村コード 14321
遺跡番号 70
北緯(日本測地系)度分秒 352340
東経(日本測地系)度分秒 1392240
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.3977 139.3746
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20110524-20110715
調査面積(㎡)
20
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
溝状遺構1
土坑1
ピット3
主な遺物
かわらけ
特記事項 弥生時代後期〜古墳時代前期の集落
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
竪穴住居跡1
主な遺物
土師器
須恵器
灰釉陶器
土製品
特記事項
種別
時代
古墳
主な遺構
円墳1
溝状遺構2
土坑1
ピット1
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項
種別
集落
時代
弥生
古墳
主な遺構
竪穴住居跡6
主な遺物
土器
石器
特記事項
遺跡名 倉見川登遺跡(4区)
遺跡名かな くらみかわのぼりいせき
本内順位
遺跡所在地 神奈川県高座郡寒川町倉見3831-2他
所在地ふりがな かながわけんこうざぐんさむかわまちくらみ
市町村コード 14321
遺跡番号 70
北緯(日本測地系)度分秒 352340
東経(日本測地系)度分秒 1392240
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.3977 139.3746
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20091216-20100315
調査面積(㎡)
319
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
集落
時代
近世(細分不明)
近代(細分不明)
主な遺構
堤防1
溝状遺構3
土坑1
主な遺物
陶磁器
かわらけ
金属製品
石製品
特記事項 前方後円墳の周溝より耳環出土
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
井戸1
土坑1
ピット1
主な遺物
かわらけ
青磁
特記事項 宮ノ台式土器 弥生時代後期〜古墳時代前期の集落
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
土坑6
ピット79
主な遺物
土師器
須恵器
灰釉陶器
土製品
特記事項
種別
古墳
時代
古墳
主な遺構
前方後円墳1
土坑13
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項
種別
集落
時代
弥生
古墳
主な遺構
竪穴住居跡17
竪穴状遺構2
土坑11
主な遺物
土器
石器
特記事項
要約 [倉見川登遺跡(1区) 要約]
 弥生時代後期〜古墳時代前期、古墳時代後期、奈良・平安時代、中世、近世以降の遺構・遺物が多数確認された。弥生時代後期〜古墳時代前期においては、4地区あわせて38軒の竪穴住居跡が確認されている。いずれも弥生時代後期〜古墳時代前期の範疇に収まる時期の遺構であり、寒川町内の沖積微高地において集落が形成されている事が明らかとなった。また、4区から宮ノ台式土器が確認されており、弥生時代中期後葉の遺構が付近に存在する可能性が伺えた。古墳時代後期では、5基の古墳が周溝の存在により確認されており、うち4区で確認されている1基は前方後円墳の可能性が高く、この古墳の周溝からは耳環が出土している。奈良・平安時代は、居住域からははずれるようで、ピットや土坑を中心とした遺構が多く確認されているが、3区で1軒の竪穴住居跡が確認された。竪穴住居跡は9世紀後半を中心とした遺物が確認されている事から、当該期に帰属すると考えられる。中世〜近世前半では、溝状遺構などがみられる土地景観となり、溝状遺構は宅地としてではなく耕作地に関連して利用されていた可能性が高い。近世後半以降は、相模川の堤防が確認され、この状況は南に位置する倉見川端遺跡や宮山中里遺跡でも一連のつながりが確認されている。。 
[倉見川登遺跡(2区) 要約]
 弥生時代後期〜古墳時代前期、古墳時代後期、奈良・平安時代、中世、近世以降の遺構・遺物が多数確認された。弥生時代後期〜古墳時代前期においては、4地区あわせて38軒の竪穴住居跡が確認されている。いずれも弥生時代後期〜古墳時代前期の範疇に収まる時期の遺構であり、寒川町内の沖積微高地において集落が形成されている事が明らかとなった。また、4区から宮ノ台式土器が確認されており、弥生時代中期後葉の遺構が付近に存在する可能性が伺えた。古墳時代後期では、5基の古墳が周溝の存在により確認されており、うち4区で確認されている1基は前方後円墳の可能性が高く、この古墳の周溝からは耳環が出土している。奈良・平安時代は、居住域からははずれるようで、ピットや土坑を中心とした遺構が多く確認されているが、3区で1軒の竪穴住居跡が確認された。竪穴住居跡は9世紀後半を中心とした遺物が確認されている事から、当該期に帰属すると考えられる。中世〜近世前半では、溝状遺構などがみられる土地景観となり、溝状遺構は宅地としてではなく耕作地に関連して利用されていた可能性が高い。近世後半以降は、相模川の堤防が確認され、この状況は南に位置する倉見川端遺跡や宮山中里遺跡でも一連のつながりが確認されている。 
[倉見川登遺跡(3区) 要約]
 弥生時代後期〜古墳時代前期、古墳時代後期、奈良・平安時代、中世、近世以降の遺構・遺物が多数確認された。弥生時代後期〜古墳時代前期においては、4地区あわせて38軒の竪穴住居跡が確認されている。いずれも弥生時代後期〜古墳時代前期の範疇に収まる時期の遺構であり、寒川町内の沖積微高地において集落が形成されている事が明らかとなった。また、4区から宮ノ台式土器が確認されており、弥生時代中期後葉の遺構が付近に存在する可能性が伺えた。古墳時代後期では、5基の古墳が周溝の存在により確認されており、うち4区で確認されている1基は前方後円墳の可能性が高く、この古墳の周溝からは耳環が出土している。奈良・平安時代は、居住域からははずれるようで、ピットや土坑を中心とした遺構が多く確認されているが、3区で1軒の竪穴住居跡が確認された。竪穴住居跡は9世紀後半を中心とした遺物が確認されている事から、当該期に帰属すると考えられる。中世〜近世前半では、溝状遺構などがみられる土地景観となり、溝状遺構は宅地としてではなく耕作地に関連して利用されていた可能性が高い。近世後半以降は、相模川の堤防が確認され、この状況は南に位置する倉見川端遺跡や宮山中里遺跡でも一連のつながりが確認されている。 
[倉見川登遺跡(4区) 要約]
 弥生時代後期〜古墳時代前期、古墳時代後期、奈良・平安時代、中世、近世以降の遺構・遺物が多数確認された。弥生時代後期〜古墳時代前期においては、4地区あわせて38軒の竪穴住居跡が確認されている。いずれも弥生時代後期〜古墳時代前期の範疇に収まる時期の遺構であり、寒川町内の沖積微高地において集落が形成されている事が明らかとなった。また、4区から宮ノ台式土器が確認されており、弥生時代中期後葉の遺構が付近に存在する可能性が伺えた。古墳時代後期では、5基の古墳が周溝の存在により確認されており、うち4区で確認されている1基は前方後円墳の可能性が高く、この古墳の周溝からは耳環が出土している。奈良・平安時代は、居住域からははずれるようで、ピットや土坑を中心とした遺構が多く確認されているが、3区で1軒の竪穴住居跡が確認された。竪穴住居跡は9世紀後半を中心とした遺物が確認されている事から、当該期に帰属すると考えられる。中世〜近世前半では、溝状遺構などがみられる土地景観となり、溝状遺構は宅地としてではなく耕作地に関連して利用されていた可能性が高い。近世後半以降は、相模川の堤防が確認され、この状況は南に位置する倉見川端遺跡や宮山中里遺跡でも一連のつながりが確認されている。 

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