奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41245 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132428 件
( 前年度比 + 1743 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147554 件
( 前年度比 + 2114 件 )
現在の文化財論文件数
120575 件
( 前年度比 + 1580 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む
発行機関一覧 (都道府県別) > 東京都 > 文京区 > 東京都文京区 大塚町遺跡第8地点

東京都文京区 大塚町遺跡第8地点

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/72606
引用表記 加藤建設株式会社文化財事業部 2018 『B-166:東京都文京区 大塚町遺跡第8地点』一般財団法人自警会他
加藤建設株式会社文化財事業部 2018 『東京都文京区 大塚町遺跡第8地点』B-166
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=恒彦|last=竹村|first2=智史|last2=畑山|first3=礼子|last3=秋岡|first4=常樹|last4=阿部|first5=旨乃|last5=福重|first6=丈志|last6=水澤|first7=功|last7=戸堀|title=東京都文京区 大塚町遺跡第8地点|origdate=2018-08-31|date=2018-08-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/72606|ncid=BB26907823}} 閉じる
ファイル
書名 東京都文京区 大塚町遺跡第8地点
発行(管理)機関 文京区 - 東京都
書名かな とうきょうとぶんきょうくおおつかまちいせきだい8ちてん
副書名 (仮称)大塚住宅・月島住宅新築整備事業(大塚住宅)埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号 B-166
編著者名
編集機関
加藤建設株式会社文化財事業部
発行機関
一般財団法人自警会
株式会社フジタ東京支店
加藤建設株式会社
発行年月日 20180831
作成機関ID
郵便番号
電話番号
住所
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 大塚町遺跡
遺跡名かな おおつかまちいせき
本内順位
遺跡所在地 東京都文京区大塚1丁目8-14
所在地ふりがな とうきょうとぶんきょうくおおつか1-8-14+
市町村コード 13105
遺跡番号 86
北緯(日本測地系)度分秒 354301
東経(日本測地系)度分秒 1394401
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.7202 139.7304
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20170718-20170913
20170911-20180831
調査面積(㎡)
318
調査原因 共同住宅の新築整備事業
遺跡概要
種別
散布地
時代
縄文
主な遺構
土坑1
主な遺物
特記事項
種別
集落
時代
弥生
古墳
主な遺構
竪穴建物跡1
主な遺物
特記事項
種別
不明
時代
不明
主な遺構
風倒木1
主な遺物
特記事項 遺物 中世以前19
種別
集落
時代
近世(細分不明)
主な遺構
井戸1
埋桶1
畝間溝2
杭穴39
小穴58
ごみ穴3
植栽痕70
三和土状遺構3
建物基礎3
柱穴44
道路状遺構1
土坑51
半地下室2
不明遺構1
主な遺物
磁器1203
陶器1878
炻器159
土器3175
瓦類541
土製品105
金属製品289
木製品1
骨角貝製品3
ガラス製品4
石製品45
自然遺物3247
土類18
特記事項 近世の屋敷地の調査
安藤家大塚下屋敷
屋敷地南東部における家中屋敷(家臣団の住居)を検出
要約  本遺跡は、小石川谷を東に、音羽谷を西に望む小日向台と呼称される小台地の尾根上に立地する。本調査地点は、近世初頭~幕末期に至るまで安藤家大塚下屋敷として使用されていた屋敷地の南東角部にあたる。近代に入り、陸軍関係施設として利用された後は現在につながる文教地区となった。
 調査の結果、中世以前の遺構として、縄文時代の土坑、弥生~古墳時代の竪穴建物跡、時期不明の風倒木が検出された。近世では、18世紀後葉以降に行われた盛土層による造成を含め、主に17世紀中葉~19世紀初頭を主体とした安藤家大塚下屋敷に関わる遺構や遺物が検出され、遺構の廃絶年代のまとまりから、Ⅰ~Ⅳ期の4期に区分できた。本調査地点周辺の既往調査第5・6地点での調査結果などから読み取ることができた傾向をまとめると、①第8地点でも、第5・6地点と同様に地下室などの大型以降の主軸方向が安藤家大塚下屋敷地境界の軸と一致することを追認できた。②第8地点の東側で南北方向に延びる道に対し、調査区内で検出された階段付地下室はいずれも出入口が東側であるが、第8地点の東側に位置する第5地点では、地下室の出入口は北側あるいは西側に構築されている。③上屋敷の機能が一時的に下屋敷に移ったとされる17世紀末葉~18世紀初頭は、当調査地点では遺構密度が高くなるⅡ期に該当する。
 特徴的な遺物としては、中国龍泉窯産時期の青磁蓮弁文碗片、中国漳州窯産磁器の色絵皿や赤絵魁文鉢、美濃・瀬戸産陶器の長石釉呉須絵菊形皿(平向)、京焼陶器亀形合子(香合)、京焼陶器染付灰釉丁子風炉、京焼陶器色絵鉄線文花生などの優品や舶載磁器、茶道具と思われる非日常的で嗜好性の強いものが挙げられる。破片資料には、肥後陶器の八代焼白泥象嵌端反碗と松尾焼と推測される白泥象嵌よろけ縞文丸形碗のほか、18世紀中葉以降の所産と考えられる大堀相馬産陶器も出土している。この他に、坩堝片や鞴の羽口片、鉄滓やスラグなどの生産関連遺物、大型建築物に用いられたと推測される大型の伏間瓦や海鼠瓦などが出土している。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 264
ファイルダウンロード数 : 0

全国のイベント

外部出力