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発行機関一覧 (都道府県別) > 東京都 > 文京区 > 柳沢家駒込屋敷(六義館・六義園)跡第3地点

柳沢家駒込屋敷(六義館・六義園)跡第3地点

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/48073
引用表記 大成エンジニアリング株式会社埋蔵文化財調査部門 2014 『B-135:柳沢家駒込屋敷(六義館・六義園)跡第3地点』東急不動産株式会社
大成エンジニアリング株式会社埋蔵文化財調査部門 2014 『柳沢家駒込屋敷(六義館・六義園)跡第3地点』B-135
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ファイル
書名 柳沢家駒込屋敷(六義館・六義園)跡第3地点
発行(管理)機関 文京区 - 東京都
書名かな やなぎさわけこまごめやしき むくさのたち むくさのその あとだい3ちてん
副書名 集合住宅建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号 B-135
編著者名
編集機関
大成エンジニアリング株式会社埋蔵文化財調査部門
発行機関
東急不動産株式会社
発行年月日 20140831
作成機関ID
郵便番号 162-0045
電話番号 03-5285-3155
住所 東京都新宿区馬場下町1-1 早稲田SIAビル8F
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 柳沢家駒込屋敷(六義館・六義園)跡
遺跡名かな やなぎさわけこまごめやしきあと
本内順位 1
遺跡所在地 東京都文京区本駒込6丁目13-21地内
所在地ふりがな とうきょうとぶんきょうくほんこまごめろくちょうめ
市町村コード 13105
遺跡番号 85
北緯(日本測地系)度分秒 354351
東経(日本測地系)度分秒 1394449
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.7341 139.7437
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20130620-20130817
調査面積(㎡)
200
調査原因 集合住宅建設
遺跡概要
種別
城館
不明
時代
縄文
主な遺構
遺構なし
主な遺物
土器
石器
特記事項 種別:屋敷地

遺跡名かな:やなぎさわけこまごめやしき むくさのたち むくさのその あと
種別
城館
時代
奈良
平安
主な遺構
遺構なし
主な遺物
須恵器
特記事項 種別:屋敷地
種別
城館
時代
江戸
主な遺構
土坑12
溝8
道路5
瓦溜1
植栽痕11
ピット4
性格不明2
主な遺物
磁器
陶器
炉器
土器
土製品
金属製品
木製品
石製品
自然遺物
土類
その他
特記事項 種別:屋敷地
種別
城館
時代
近代(細分不明)
主な遺構
土坑1 ピット10
ピット10
主な遺物
磁器
陶器
炉器
土器
土製品
金属製品
木製品
石製品
自然遺物
土類
その他
特記事項 主な時代:明治以降
種別:屋敷地
要約 本調査は、武蔵野台地の東端を形成する本郷台地上に立地する。本調査区付近は、細かい支谷が入り組んだ地形を呈しており、所々埋没谷が形成されている。本調査区も北東から南西に向かって傾斜する谷地形上に立地しており、その上に黒ボク土が厚く堆積する。黒ボク土上層からは縄文時代後期の堀之内式土器片が出土したため、この時期には生活域が形成されてたことが推測される。
 当該地の江戸時代における拝領者を遡ると、明暦の大火以前の『寛永江戸全図』で鳥居淡路下屋敷の記載が確認できる。明暦の大火後は、加賀藩前田家が中屋敷として拝領し、天和3(1683)年に上地となる。上地後、元禄8(1695)年に柳沢吉保が「六義園」を作庭、柳沢家の下屋敷となる。元文4(1739)年には屋敷地南側二万坪が上地され、田安家(右衛門督)が拝領する。その後、延享4(1747)年に田安家下屋敷は上地され、当該地は幕末に至るまで「御駕籠之者大繩地」として利用される。絵図で確認すると、当該地は東西・南北ともにこれらの敷地境界付近に位置し、屋敷境界の溝やそれに伴う道路状遺構が複数基検出された。

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