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発行機関一覧 (都道府県別) > 東京都 > 文京区 > 東京都文京区 柳町遺跡

東京都文京区 柳町遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/138340
引用表記 文京区教育委員会 2022 『B-179:東京都文京区 柳町遺跡』文京区
文京区教育委員会 2022 『東京都文京区 柳町遺跡』B-179
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ファイル
書名 東京都文京区 柳町遺跡
発行(管理)機関 文京区 - 東京都
書名かな とうきょうとぶんきょうく やなぎちょういせき
副書名 文京区立柳町小学校及び柳町こどもの森改築工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号 B-179
編著者名
編集機関
文京区教育委員会
発行機関
文京区
発行年月日 20220331
作成機関ID 13105
郵便番号 112-8555
電話番号 03-5803-1305
住所 東京都文京区春日1-16-21
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 柳町遺跡
遺跡名かな やなぎちょういせき
本内順位
遺跡所在地 東京都文京区小石川1-23-6
所在地ふりがな とうきょうとぶんきょうくこいしかわ1-23-6
市町村コード 13105
遺跡番号 144
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 354248
東経(世界測地系)度分秒 1394503
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.713333 139.750833
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20200706-20201130
調査面積(㎡)
915
調査原因 小学校改築に伴う発掘調査
遺跡概要
種別
その他
時代
縄文
古墳
中世(細分不明)
主な遺構
主な遺物
土器
土師器
土製品
陶器
炻器
特記事項 各時代とも遺構は検出されなかった。近世以降の遺構などから、流れ込みの遺物が出土した。
深部調査で、縄文時代好意以降、近世初頭に至る湿地帯が確認された。
種別
その他
時代
近世(細分不明)
主な遺構
池跡3基
井戸跡6基
溝1条
土坑40基
小穴23基
杭3基
礎石2基
竹樋1基
埋甕1基
畝間溝3条
耕作痕4条
流路1条
主な遺物
磁器
陶器
炻器
土器
土製品
鉄製品
銭貨
その他金属製品
木製品
繊維製品
骨角製品
貝製品
ガラス製品
石製品
貝類
漆喰
特記事項  近世初頭から中葉の耕作面が2層、17世紀後葉以降の旗本・御家人屋敷盛土が2層確認された。
 屋敷跡からは、池跡が3期、裏手空間を構成した複数の井戸やゴミ穴などが確認され、屋敷内の空間利用の一端が明らかにできた。
 大型ゴミ穴からは、漆喰製の下水管や大量の漆喰材の他、賎機焼や大堀相馬焼の茶陶、大量の木製品や木材、動植物遺体が出土した。
種別
時代
近代(細分不明)
主な遺構
池跡2基
溝2条
土坑29基
小穴1基
杭65基
礎石65基
基礎10基
煉瓦基礎20基
地業1基
焚火跡1基
土間1基
便槽1基
板1基
排水施設3基
通路痕1基
景石1基
主な遺物
磁器
陶器
炻器
土器
土製品
鉄製品
銅製品
銭貨
その他金属製品
木製品
繊維製品
ガラス製品
石製品
漆喰
近代その他
特記事項  明治21(1888)年に移転してきた跡見女学校に伴う2基の池跡や、新旧の跡見家住宅と寄宿舎とみられる建物跡などが確認された。
 昭和初期の跡見女学校転出以降の柳町小学校関係の景石や通路跡などが確認された。
要約 総点数30,986点、総重量1,088,404.0g
 本遺跡は、東京都文京区小石川一丁目23番6号地の文京区立柳町小学校の敷地内に所在する。調査地点は小石川谷内の沖積地に立地する。周辺の現標高は6.5mを測る。縄文時代後期以降湿地帯であったが、近世に入るころには本格的に開発が進み水田や畑作が行われた。17世紀中葉以降に盛土造成されて屋敷地となり、旗本宮崎長十郎が拝領する。元禄14(1701)年の宮崎家断絶後、屋敷は南北に分割された。北は500坪のはたもとやしきとして、300~400石の旗本4家、南側は150坪の御家人屋敷として3家が幕末までに変遷する。明治期に入ると再び水田となるが、明治21(1888)年に跡見女学校が移転してくる。同校は、大正2(1913)年校舎等施設を大改築するが、昭和8(1933)年に転出。敷地の大部分は北側に所在する柳町小学校に編入された。戦後の一時期は特殊学校のあおば学園が置かれるが、以後、現在に至るまで小学校や幼保一元化施設柳町こどもの森などの敷地として利用されている。
 調査では中世以前及び近世・近代以降の遺構・遺物が確認された。中世以前の遺構は確認されていないが、縄文時代後期の湿地帯や自然流路、遺物は縄文時代、古墳時代、中世の遺物が近世遺構などから出土した。近世は植栽痕、旗本・御家人屋敷に関連する遺構・遺物が確認された。池跡3基をはじめ、井戸跡や大型ゴミ穴、礎石などが検出された。遺物は池跡から多数の銭貨、19世紀前葉のゴミ穴からは、茶陶とみられる賎機焼や大堀相馬焼が出土した。近代以降の遺構・遺物は、主に跡見女学校に関連する。新旧の跡見家住宅や寄宿舎とみられる建物跡、2基の池跡などの遺構と、化粧瓶や櫛、文房具などの遺物がある。このほか、柳町小学校に関係する景石や通路跡なども検出され、当該期の遺物も出土している。

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