奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41234 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132423 件
( 前年度比 + 1738 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147544 件
( 前年度比 + 2104 件 )
現在の文化財論文件数
120575 件
( 前年度比 + 1580 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

巣鴨遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/121949
引用表記 公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター 2018 『東京都埋蔵文化財センター調査報告335:巣鴨遺跡』公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター
公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター 2018 『巣鴨遺跡』東京都埋蔵文化財センター調査報告335
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=義輝|last=宗像|first2=譲一|last2=栗城|title=巣鴨遺跡|origdate=2018-03-30|date=2018-03-30|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/121949|location=東京都多摩市落合一丁目14番2|ncid=AN00155536|ncid=BB25885270|series=東京都埋蔵文化財センター調査報告|volume=335}} 閉じる
ファイル
書名 巣鴨遺跡
発行(管理)機関 (公財)東京都教育支援機構東京都埋蔵文化財センター - 東京都
書名かな すがもいせき
副書名 放射第9号線(3期)整備事業に伴う埋蔵文化財調査
巻次
シリーズ名 東京都埋蔵文化財センター調査報告
シリーズ番号 335
編著者名
編集機関
公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター
発行機関
公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター
発行年月日 20180330
作成機関ID 13224
郵便番号 2060033
電話番号 0423748044
住所 東京都多摩市落合一丁目14番2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 巣鴨遺跡
遺跡名かな すがもいせき
本内順位
遺跡所在地 東京都豊島区巣鴨三丁目32番
所在地ふりがな とうきょうととしまくすがもさんちょうめ32ばん
市町村コード 13112
遺跡番号 6
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 354406
東経(世界測地系)度分秒 1394412
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.735 139.736666
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20170718-20171006
調査面積(㎡)
1681
調査原因 道路整備
遺跡概要
種別
城館
時代
近世(細分不明)
近代(細分不明)
主な遺構
土坑
ピット
胞衣埋納遺構
道路跡(旧中山道)
主な遺物
陶器
磁器
土器
遊具・玩具
銭貨
金属製品
石製品
特記事項 旧中山道の調査により、版築構造を確認
要約  巣鴨遺跡は江戸五街道の一つである中山道の両側に広がる遺跡で、日本橋から約7.3Kmの距離にあり、その総面積はおよそ39万㎡に及ぶ。これまで豊島区教育委員会の指導により、100カ所を超える地点の調査が行われているが、そのいずれもが数百㎡以下の小範囲である。
 今回の調査範囲は、江戸時代中期までは譜代大名水野家、中期以降は越後三日市藩の柳沢家の下屋敷跡にあたり、この水野家敷地と中山道との境の溝を調査することができた。
 これまでの豊島区の調査により、同溝は巣鴨遺跡の他の調査地点数カ所で検出され、寛永江戸全図ほかの絵図史料と対比されているが、今回の調査でもそれを裏付ける結果を得るとともに、時期による変化も明らかとなってきた。
 旧中山道の調査では、調査範囲が14㎡とわずかではあったが、その版築構造を明らかにすることができ、その年代を推測する陶磁器等の資料を得ることが出来た。
 隣接する染井遺跡は江戸時代中期以降、観賞用の植物栽培が盛んなところで、それを裏付けるような植栽痕また大量の植木鉢などが出土しているが、今回の調査地点でも同様の傾向が見られる。当地は絵図史料ほかから見て、武家の下屋敷地であったことは間違いないが、敷地内での実態は、江戸市中での武家地とはやや異なる様相を持つのではないかと思われる。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 143
ファイルダウンロード数 : 0

全国のイベント

外部出力