奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41245 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132428 件
( 前年度比 + 1743 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147554 件
( 前年度比 + 2114 件 )
現在の文化財論文件数
120575 件
( 前年度比 + 1580 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

あきる野市 橋場遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/26409
引用表記 (財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ− 2007 『東京都埋蔵文化財センター調査報告209:あきる野市 橋場遺跡』(財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ−
(財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ− 2007 『あきる野市 橋場遺跡』東京都埋蔵文化財センター調査報告209
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=惠昭|last=今井|first2=朝宏|last2=上條|first3=和夫|last3=増渕|title=あきる野市 橋場遺跡|origdate=2007-09-28|date=2007-09-28|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/26409|location=東京都多摩市落合1-14-2|ncid=AN00155536|ncid=BA83267056|series=東京都埋蔵文化財センター調査報告|volume=209}} 閉じる
ファイル
書名 あきる野市 橋場遺跡
発行(管理)機関 (公財)東京都教育支援機構東京都埋蔵文化財センター - 東京都
書名かな あきるのし はしばいせき
副書名 秋多3・3・9号線整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査
巻次
シリーズ名 東京都埋蔵文化財センター調査報告
シリーズ番号 209
編著者名
編集機関
(財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ−
発行機関
(財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ−
発行年月日 20070928
作成機関ID
郵便番号 206-0033
電話番号 042-373-5296
住所 東京都多摩市落合1-14-2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 橋場遺跡
遺跡名かな はしばいせき
本内順位
遺跡所在地 東京都あきる野市草花1537ほか
所在地ふりがな とうきょうとあきるのしくさばな1537ほか
市町村コード 13228
遺跡番号 58
北緯(日本測地系)度分秒 354425
東経(日本測地系)度分秒 1391821
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.7435 139.3027
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20061002-20061228
調査面積(㎡)
2190
調査原因 都道整備事業
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
集石2
遺物集中地点3
主な遺物
土器(前期前半 前期後半 中期前半)
石器(石鏃 打製石斧 磨石 石皿)
特記事項 河川堆積物である真土の上に構築されている集石と、真土中にパックされた集石を検出。遺物集中地点から、浅鉢が伏せた状態で出土。
種別
集落
時代
古墳
古代(細分不明)
主な遺構
住居跡1
土坑2
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項 二口カマドの検出。小川牧の存在に注目。
種別
集落
時代
近世(細分不明)
主な遺構
掘立柱建物跡1
土坑6
溝1
ピット44
不明遺構3
石ムロ
醤油染色工場
主な遺物
陶磁器類
土器類
土製人形
金属製品
ガラス製品
特記事項 近隣に移転前の多西小学校跡有。染色・醤油工場跡地。
要約 [橋場遺跡 要約]
遺物の出土はなかったが、明瞭なAT層の存在を確認した。真土に関しては、平井川右岸の秋留台地に堆積する真土と、左岸側の本遺跡周辺に分布する真土の相違が判明した。また、時期を異にする2基の集石が、真土をキー層にして検出された。縄文時代前期末から中期前半頃の捨て場(遺物集中部)的な場所から、底部を欠いた浅鉢が伏せた状態で出土した。 古墳時代から古代では、平井川の両岸から多数検出されている住居跡や古墳と、文献に記載のある「小川牧」との関係が注目される。 近世以降では、移転前の多西小学校校舎は調査区外になり検出されなかったが、移転後に造られた醤油・染色工場跡地の一角が残存していた。????

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 163
ファイルダウンロード数 : 0

全国のイベント

外部出力