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戸山ヶ原上ノ台遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/24747
引用表記 (財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ− 2009 『東京都埋蔵文化財センター調査報告232:戸山ヶ原上ノ台遺跡』(財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ−
(財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ− 2009 『戸山ヶ原上ノ台遺跡』東京都埋蔵文化財センター調査報告232
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ファイル
書名 戸山ヶ原上ノ台遺跡
発行(管理)機関 (公財)東京都教育支援機構東京都埋蔵文化財センター - 東京都
書名かな とやまがはらうえのだいいせき
副書名 子ども家庭総合センター(仮称)の建設に伴う埋蔵文化財発掘調査
巻次
シリーズ名 東京都埋蔵文化財センター調査報告
シリーズ番号 232
編著者名
編集機関
(財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ−
発行機関
(財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ−
発行年月日 20090331
作成機関ID
郵便番号 206-0033
電話番号 042-373-5296
住所 東京都多摩市落合1-14-2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 戸山ヶ原上ノ台遺跡
遺跡名かな とやまがはらうえのだいいせき
本内順位
遺跡所在地 東京都新宿区北新宿四丁目6の1
所在地ふりがな とうきょうとしんじゅくくきたしんじゅくよんちょうめ6の1
市町村コード 13104
遺跡番号 10
北緯(日本測地系)度分秒 354229
東経(日本測地系)度分秒 1394137
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.7113 139.6904
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20080204-20080704
調査面積(㎡)
3040
調査原因 子ども家庭総合センター(仮称)建設工事
遺跡概要
種別
集落
時代
旧石器
主な遺構
遺物集中地点2
主な遺物
ナイフ形石器
角錐状石器
再加工剥片
剥片
砕片
特記事項
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
土坑5
炉穴1
集石1
ピット37
主な遺物
土器(早期前半 早期後半 後期初頭)
土製品(土偶
垂飾)
石器(石鏃
打製石斧
礫器)
特記事項
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
住居跡1
主な遺物
土師器
特記事項
種別
集落
時代
平安
主な遺構
住居跡3
ピット3
主な遺物
土師器
須恵器
灰釉陶器
鉄器(鎌
雁股鏃)
特記事項
種別
集落
時代
近世(細分不明)
近代(細分不明)
主な遺構
土坑6
ピット64
病院基礎
看護学校基礎
主な遺物
陶磁器
煙管
銭貨
笄(簪)
ガラス瓶
特記事項
要約 [戸山ヶ原上ノ台遺跡 要約]
旧石器時代は、武蔵野台地4下層から5層にかけての小規模な遺物集中地点2ヶ所で、礫群と石器製作場である。縄文時代は早期前半の撚糸文土器と後半の絡状体圧痕文土器(野川式)が検出された。遺構は、陥穴土坑3基と炉穴・集石1基である。縄文時代後期初頭の称名寺式土器が纏まって出土した。この中には土偶の腕と土製垂飾品も含まれる。遺構はピット群が主体となる。弥生時代は23棟の住居跡が検出された。未調査区や削平された区域を考慮すると、より多くの集落であった可能性が高い。古墳時代後期は覆土に多くの遺物の含まれる住居跡が1棟検出された。平安時代後期の住居跡も1棟だけの検出で、灰釉陶器や鉄器(鎌・雁股鏃)が出土した。江戸時代は柏木村に属し、畑地として使用された。明治35年には豊多摩病院が建設され、昭和2年には建直しが実施され、昭和41年まで存続した。その後、昭和46年に看護学校が建設され、昭和63年に廃校となった。

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