原町西遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/143726
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.143726
引用表記 公益財団法人 東京都教育支援機構 東京都埋蔵文化財センター 2025 『東京都埋蔵文化財センター調査報告389:原町西遺跡』公益財団法人 東京都教育支援機構 東京都埋蔵文化財センター
公益財団法人 東京都教育支援機構 東京都埋蔵文化財センター 2025 『原町西遺跡』東京都埋蔵文化財センター調査報告389
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書名 原町西遺跡
発行(管理)機関 (公財)東京都教育支援機構東京都埋蔵文化財センター - 東京都
書名かな はらまちにしいせき
副書名 最高裁判所旧白山宿舎地区における埋蔵文化財調査
巻次
シリーズ名 東京都埋蔵文化財センター調査報告
シリーズ番号 389
編著者名
編集機関
公益財団法人 東京都教育支援機構 東京都埋蔵文化財センター
発行機関
公益財団法人 東京都教育支援機構 東京都埋蔵文化財センター
発行年月日 20250831
作成機関ID 13224
郵便番号 2060033
電話番号 0423748044
住所 東京都多摩市落合 1 丁目 14 番 2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 原町西遺跡
遺跡名かな はらまちにしいせき
本内順位
遺跡所在地 東京都文京区白山四丁目10番地8号
所在地ふりがな とうきょうとぶんきょうくはくさんよんちょうめ10ばんち8ごう
市町村コード 13105
遺跡番号 145
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 354321.8
東経(世界測地系)度分秒 1394436.9
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.722722 139.743583
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20230607-20240331
調査面積(㎡)
1154
調査原因 再開発
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
竪穴建物跡
主な遺物
土器
石器
特記事項 縄文時代前期黒浜式土器を主体とする竪穴建物跡
種別
集落
城館
時代
近世(細分不明)
近代(細分不明)
主な遺構
御殿堀
上水路
井戸
地下坑
地下室
土坑
主な遺物
近世:陶磁器
土器
土製品
石製品
金属製品
近代:陶磁器
土器
土製品
石製品
ガラス製品
衛生陶器
特記事項 小石川御殿の堀と堀に接続する千川上水
大前家屋敷内の瘡守稲荷に伴う ‘ かわらけ ’ と土玉の大量廃棄土坑
要約  原町西遺跡は、小石川植物園の北側に隣接する。縄文時代前期黒浜式土器を伴う竪穴建物跡を確認した。館林藩下屋敷を前身とする小石川御殿の周囲を取り囲む御殿堀を検出した。千川 上水から御殿堀に接続する上水路を複数確認した。御殿堀が 1713(正徳三)年に埋め立てられた跡地に構築された武家屋敷に伴う諸遺構が出土した。調査区南側の一角からは、大量の ‘ かわらけ ’ と土玉が出土した。当該箇所は、屋敷内に瘡守稲荷が所在した大前家の敷地内であった。出土した ‘ かわらけ ’ と土玉は、18 世紀の人々が皮膚病の治癒を願って奉納した供え物と考えられる。‘ かわらけ ’ と土玉が出土した遺構については、ウレタン樹脂系接着剤による剥ぎ取りを行なった。近代以降の当該地は、東京市長などを務めた阪谷芳郎邸の敷地となり、その後は氏が関連した学生寄宿舎を経て、最高裁判所宿舎となった。調査区における近世の土地履歴、瘡守稲荷に関する民俗的考察、出土動物遺体の同定、御殿堀堆積物の環境学的分析、‘ かわらけ ’と土玉の胎土分析を行なった。

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