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上宿遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/129408
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.129408
引用表記 公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2021 『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書466:上宿遺跡』公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団
公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2021 『上宿遺跡』埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書466
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書名 上宿遺跡
発行(管理)機関 (公財)埼玉県埋蔵文化財調査事業団 - 埼玉県
書名かな かみじゅくいせき
副書名 令和2年度0209交付金(改築)工事(上宿遺跡埋蔵文化財整理業務委託)一般国道254号/志木市上宗岡地内埋蔵文化財発掘調査報告
巻次
シリーズ名 埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書
シリーズ番号 466
編著者名
編集機関
公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団
発行機関
公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団
発行年月日 20210224
作成機関ID
郵便番号 3690108
電話番号 0493393955
住所 埼玉県熊谷市船木台4丁目4番地1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 上宿遺跡
遺跡名かな かみじゅくいせき
本内順位
遺跡所在地 埼玉県志木市上宗岡2丁目1242-1他
所在地ふりがな さいたまけんしきしかみむねおかにちょうめ1242-1ほか
市町村コード 11228
遺跡番号 17
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 355040
東経(世界測地系)度分秒 1393445
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.844444 139.579166
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20190501-20190930
調査面積(㎡)
2626
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
集落
時代
平安
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
住居跡
土壙
井戸跡
溝跡
性格不明遺構
ピット
主な遺物
土師器
須恵器
灰釉陶器
鉄製品
陶磁器
かわらけ
石製品
金属製品
銭貨
漆製品
特記事項 平安時代は8世紀~9世紀の集落を調査した。住居跡から「市」の墨書土器が出土した。
中世は16世紀後半に始まる屋敷跡を調査した。
要約  上宿遺跡は、武蔵野台地の縁辺を縫うように流れる新河岸川の自然堤防上に立地する平安時代から近世にわたる遺跡である。発掘調査の結果、平安時代の住居跡や土壙、井戸跡、溝跡が検出され、9世紀中頃から低地にも集落が進出していた様相が明らかになった。この時期は、台地上における集落も数や規模を拡大する時期に符合しており、集落動態を考える上でも重要である。出土遺物には、県内の南比企窯跡群や東金子窯跡群で生産された須恵器だけでなく、愛知県猿投窯跡群産の灰釉陶器なども含まれていることから、河川交通に密接に結びつく低地の集落の性格を窺わせる。
 中世では、薬研堀をめぐらした空間に、井戸跡や土壙、多数の柱穴が検出された。出土遺物から16世紀後半には屋敷地の成立が想定され、この時期に低地部の開発が本格化したことを物語っている。溝跡や井戸跡には二次利用された板碑が廃棄されており、周辺に宗教的空間が存在していたことを示し、文献にみえる『宗岡宿』の様相を知ることのできる貴重な成果が得られた。
 近世では、大規模な溝跡や井戸跡、土壙などが検出されたほか、近傍に所在する千光寺に関連する墓壙群が検出され、寛永通寳による六道銭を副葬した土壙墓がみつかっている。中でも、精巧に作られた飯事道具を副葬した土壙墓は、近世から近代にかけての葬送に関わる習俗を知るうえで興味深い事例である。

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