奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41113 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132387 件
( 前年度比 + 1698 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147502 件
( 前年度比 + 2071 件 )
現在の文化財論文件数
120544 件
( 前年度比 + 1541 件 )
現在の文化財動画件数
1296 件
( 前年度比 + 112 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1241 件
( 前年度比 + 190 件 )
※過去開催分含む

長野原一本松遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/26467
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.26467
引用表記 財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団 2007 『群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告408:長野原一本松遺跡』財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団
財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団 2007 『長野原一本松遺跡』群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告408
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=和之|last=小野|title=長野原一本松遺跡|origdate=2007-03-27|date=2007-03-27|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/26467|location=群馬県渋川市北橘町下箱田784番地2|ncid=AA12464525|ncid=BA58192738|doi=10.24484/sitereports.26467|series=群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告|volume=408}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 長野原一本松遺跡
発行(管理)機関 (公財)群馬県埋蔵文化財調査事業団 - 群馬県
書名かな ながのはらいっぽんまついせき
副書名 八ツ場ダム建設工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 ; 15
巻次 2
シリーズ名 群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告
シリーズ番号 408
編著者名
編集機関
財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団
発行機関
財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団
発行年月日 20070327
作成機関ID
郵便番号 377-8555
電話番号 0279-52-2511
住所 群馬県渋川市北橘町下箱田784番地2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 長野原一本松遺跡
遺跡名かな ながのはらいっぽんまついせき
本内順位
遺跡所在地 群馬県吾妻郡長野原町大字一本松
所在地ふりがな ぐんまけんあがつまぐんながのはらまちおおあざいっぽんまつ
市町村コード 10424
遺跡番号 63
北緯(日本測地系)度分秒 363250
東経(日本測地系)度分秒 1383906
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.5503 138.6485
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19980414-19981223
19981026-19981225
19990409-19991224
調査面積(㎡)
4378
調査原因 ダム建設工事に伴う代替地造成工事
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
住居26
柱穴列1
埋甕3
炉3
土坑
配石1
主な遺物
土器
石器
特記事項 縄文中期後半から後期の大規模集落
種別
時代
平安
主な遺構
住居2
土坑
主な遺物
土器
石器
鉄製品
特記事項
種別
時代
中世(細分不明)
主な遺構
土坑2
主な遺物
陶磁器
特記事項
種別
時代
近世(細分不明)
主な遺構
土坑
主な遺物
鉄製品
陶磁器
特記事項
要約 [長野原一本松遺跡 要約]
群馬県吾妻郡長野原町大字一本松に所在する長野原一本松遺跡の平成9・10・11年度調査分の報告である。長野原一本松遺跡は群馬県北西部に位置し、東流する吾妻川の左岸段丘上に営まれた遺跡である。平成6年より調査が行われ、調査の結果縄文時代中期から後期にかけての住居跡約250軒の他、2000基以上の土坑などが検出されている。住居は径80m程の環状に配置され、大形の掘立柱建物なども検出されている。住居の時期は中期後半から後期前半を中心としており、吾妻地域における拠点集落として注目される。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 163
ファイルダウンロード数 : 96

全国のイベント

外部出力