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興聖寺跡・寺之後遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/27514
引用表記 (公財)とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センタ−  2013 『栃木県埋蔵文化財調査報告357:興聖寺跡・寺之後遺跡』(公財)とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センタ− 他
(公財)とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センタ−  2013 『興聖寺跡・寺之後遺跡』栃木県埋蔵文化財調査報告357
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ファイル
書名 興聖寺跡・寺之後遺跡
発行(管理)機関 (公財)とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター - 栃木県
書名かな こうしょうじじょうあと・てらのうしろいせき
副書名 安全な道づくり事業(交付金)主要地方道佐野田沼線新吉水工区に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 栃木県埋蔵文化財調査報告
シリーズ番号 357
編著者名
編集機関
(公財)とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センタ− 
発行機関
(公財)とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センタ− 
栃木県教育委員会
発行年月日 20130325
作成機関ID
郵便番号 329-0418
電話番号 0285-44-8441
住所 栃木県下野市紫474番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 興聖寺跡・寺之後遺跡
遺跡名かな てらのうしろいせき
本内順位
遺跡所在地 栃木県佐野市吉水町
所在地ふりがな さのしよしみずちょう
市町村コード 09204
遺跡番号 5207 5209 
北緯(日本測地系)度分秒 362101
東経(日本測地系)度分秒 1393442
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.3534 139.5751
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20110606-20110819
20101025-2011518
調査面積(㎡)
570
1050
調査原因 県道拡幅に伴う調査
遺跡概要
種別
城館
時代
主な遺構
竪穴建物1
堀跡1
主な遺物
縄文土器
土師器
須恵器
内耳土器
銭貨
石鉢
特記事項 興聖寺跡

遺跡名かな:こうしょうじじょうあとてらのうしろいせき
種別
集落
時代
主な遺構
竪穴建物17基
土坑244基
溝5条
井戸1
主な遺物
縄文土器
土師器
須恵器
青磁
陶器
砥石
五輪塔
鉄製品
銭貨
特記事項 寺ノ後遺跡
要約 [興聖寺跡・寺之後遺跡 要約]
興聖寺城跡は、安貞 2 年(1228)、佐野国綱が築いた城館で、東西 116 m、南北 133 mの ほぼ方形の土塁と、その外側(西側以外)に堀跡が良好な状態で残っている。今回の発掘調査 では、中近世と思われる土器の小破片は出土したものの、調査区の幅が狭いうえ昭和 40 年代 の県道造成の際の攪乱を受けていることから、西側土塁の外堀の肩などは確認できなかった。 寺之後遺跡は、興聖寺城跡の南西 700 mあり、麻績郷との関連が指摘されている古墳時代 後期から平安時代の集落跡である。過去 2 回の発掘調査が行われているが、今回の調査でほぼ 集落の北限が確認された。また、中世の遺構・遺物のほか、西4・5区では旧河道が確認され ている。これは「蓼沼家古絵図」に描かれている本丸(興聖寺城)・北二の丸・南二の丸・三 の丸の周囲をさらに 800 m四方で囲んだ南側の水堀跡との関連が考えられる。

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