二本松城跡
URL | https://sitereports.nabunken.go.jp/72476 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
引用表記 | 二本松市教育委員会 2019 『二本松市文化財調査報告書70:二本松城跡』二本松市教育委員会 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
二本松市教育委員会 2019 『二本松城跡』二本松市文化財調査報告書70 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
wikipedia 出典テンプレート :
{{Cite book ... 開く
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファイル | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
書名 | 二本松城跡 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発行(管理)機関 | 二本松市 - 福島県 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
書名かな | にほんまつじょうあと | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
副書名 | 発掘調査報告書 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
巻次 | 31: 平成30年度 2 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ名 | 二本松市文化財調査報告書 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ番号 | 70 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編著者名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編集機関 |
二本松市教育委員会
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発行機関 |
二本松市教育委員会
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発行年月日 | 20190329 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
作成機関ID | 072109 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
郵便番号 | 9648601 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
電話番号 | 0243555154 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
住所 | 二本松市金色403-1 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
資料タイプ | Research Paper | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発掘調査報告 | 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所蔵大学(NCID) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
JP番号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
他の電子リソース |
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
備考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収論文 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収遺跡 |
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
要約 | 二本松城大手門跡は、奥州道中に面した久保丁口に築造された二本松城の大手門で通称「坂下門」ともいった。天保3年(1832)に幕府に絵図面を添えて願い出て、許可を得て普請した本格的な櫓門であったが、慶応4年(1868)戊辰戦争敗戦後まもなく取り壊されたものとみられる。また門前のお堀も埋められた。 今回の調査は西本陣の北側に位置する地点である。調査の結果、大手門跡の西側地点においては明治期の郡役所および昭和期の県の出先機関としての施設利用により、幕末期の生活面はかなり破壊を受けていることが判明し、大手門跡の石垣等による詳細な規模・構造を把握することはできなかった。 しかし、3Tから大手門の塀に葺かれていたと考えられる丹羽家の家紋である『直違文』入りの軒丸瓦片や平瓦片・丸瓦片が出土したことから、大手門地割図で描かれているとおりこの地点まで塀が築かれていたことが想定できた。 また、旧地形が北西から南東にかけて傾斜していることが確認され、南東側では湧水が特に多くなることから水が豊富に流れていたと考えられた。これを裏づける遺構としては、4Tから6Tにかけて検出された、幕末期と考えられる東西に流れる溝跡(SD01)である。この溝跡は、堆積土の状況から水が常時流れていたと判断されることから、大手門跡の南側に造られた水堀へ水を供給していた水路であった可能性が考えられる。 |