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二本松城跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/72475
引用表記 二本松市教育委員会 2019 『二本松市文化財調査報告書69:二本松城跡』二本松市教育委員会
二本松市教育委員会 2019 『二本松城跡』二本松市文化財調査報告書69
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ファイル
書名 二本松城跡
発行(管理)機関 二本松市 - 福島県
書名かな にほんまつじょうあと
副書名 発掘調査報告書
巻次 30: 平成30年度 1
シリーズ名 二本松市文化財調査報告書
シリーズ番号 69
編著者名
編集機関
二本松市教育委員会
発行機関
二本松市教育委員会
発行年月日 20190329
作成機関ID 072109
郵便番号 9648601
電話番号 0243555154
住所 二本松市金色403-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 二本松城跡
遺跡名かな にほんまつじょうあと
本内順位
遺跡所在地 二本松市郭内三丁目
所在地ふりがな にほんまつしかくないさんちょうめ
市町村コード 072109
遺跡番号 0019
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 373551.15
東経(世界測地系)度分秒 1402545.06
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 37.597541 140.429183
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20180522-20180621
調査面積(㎡)
132
調査原因 史跡整備のための資料収集
遺跡概要
種別
城館
時代
戦国
主な遺構
土塁
ピット
土坑
基檀状遺構
主な遺物
陶磁器
土師質土器
古銭
特記事項  本宮館平場の利用状況を確認
要約  二本松城は二本松藩丹羽氏の居城として営まれた近世城郭であるが、その前身は奥州管領として下向した畠山氏が築いた中世城館であるため中世と近世の城跡が同じ場所に営まれたことが当城跡の最大の特徴である。
 今回調査したの本宮館は平場2段で構成され、上段平場の1Tで確認された基壇状遺構が、本宮館で一番標高の高い地点となり、建物が存在していた可能性があることが確認された。さらに下段平場の3Tと4Tの状況から、北西から南東に延びるやせ尾根の頂部を平坦に削り、その削った土を南西側に盛土整地して平場の幅を確保していたことが明らかとなった。また、ピットが地山面から多数検出された状況から、掘立柱建物跡が存在したと思われる。平場の東辺に見えた高まりは、土塁であることが確認され、南辺にも存在した可能性があり、本宮館が機能していた時期には東と南への防備を固めていたことが確認された。
 以上のように、過去の調査状況と考え合わせると礎石建物跡がなく、掘立柱建物跡と土塁による平場の利用状況は、松森舘や新城舘の調査で確認された土地利用と同じ状況であるが、ピットの切り合いも少なく、遺構の出土量も過去に調査した平場に対して少ないことから、建物を建てて使用したとしてもかなり短期間でこの平場は使用されなくなったことが想定された。中世的な遺構のあり方から文献記録に残る本宮・菅森館の城主が二本松城に訪れた際に使用した詰めの城であったとの記述どおり、江戸時代以前に使用されていた平場であったと判断される。 
今回の出土した遺物からは本宮館が利用された年代を特定することはできなかったが、現段階においては戦国期において短い期間利用された平場であったと理解しておきたい。

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