奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41387 件
( 発行機関数 758 機関 )
現在の書誌登録数
132500 件
( 前年度比 + 1825 件 )
( 発行機関数 1918 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147677 件
( 前年度比 + 2241 件 )
現在の文化財論文件数
120622 件
( 前年度比 + 1629 件 )
現在の文化財動画件数
1310 件
( 前年度比 + 126 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1258 件
( 前年度比 + 209 件 )
※過去開催分含む

和光6区遺跡発掘調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/24907
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.24907
引用表記 岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター 1987 『岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書114:和光6区遺跡発掘調査報告書』岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター
岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター 1987 『和光6区遺跡発掘調査報告書』岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書114
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=清文|last=佐々木|first2=嘉直|last2=佐々木|title=和光6区遺跡発掘調査報告書|origdate=1987-03-31|date=1987-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/24907|location=岩手県盛岡市下飯岡11地割185番地|ncid=AN10310282|ncid=BN0361279X|doi=10.24484/sitereports.24907|series=岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書|volume=114}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 和光6区遺跡発掘調査報告書
発行(管理)機関 (公財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター - 岩手県
書名かな わこう6くいせきはっくつちょうさほうこくしょ
副書名 一般県道和賀・金ヶ崎・胆沢線拡幅工事関連緊急発掘調査
巻次
シリーズ名 岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書
シリーズ番号 114
編著者名
編集機関
岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター
発行機関
岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター
発行年月日 19870331
作成機関ID
郵便番号 020-0853
電話番号 019-638-9001
住所 岩手県盛岡市下飯岡11地割185番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 和光6区遺跡
遺跡名かな わこう6くいせき
本内順位
遺跡所在地 岩手県胆沢郡金ヶ崎町大字西根字和光地内
所在地ふりがな いわてけんいさわぐんかねがさきちょうおおあざにしねあざわこうちない
市町村コード 03381
遺跡番号 ME94-1054
北緯(日本測地系)度分秒 391220
東経(日本測地系)度分秒 1410125
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 39.2084 141.0201
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19840817-19841009
調査面積(㎡)
1500
調査原因 ME94-1054
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
竪穴住居(大木6〜7a)2
柱穴群3箇所
焼土遺構19
埋設土器3
ピット9
陥し穴2
主な遺物
縄文土器(大木5〜7a)
石器
土製品
石製品
特記事項
要約 [和光6区遺跡 要約]
遺跡は永沢丘陵を開析して東に流れる黒沢川の谷口付近に形成された中位段丘面にある。金ヶ崎段丘面との比高は約20mで+標高は150〜160mである。尾根状に東西に延びる段丘上に立地し+柱穴群や住居跡・ピット等で構成された集落が縄文時代前期後葉の大木5式から中期初頭の大木7a式の時期に営まれ+その後間をおいて陥し穴がつくられる。集落は西側の丘陵寄りの部分に広場を中心として+柱穴群・住居跡・ピットがそれを囲むように配置し+さらに沢状の斜面は遺物の捨て場として使用されていたと考えられる。柱穴群が大型住居跡の一形態としての可能性も持つ。 

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 174
ファイルダウンロード数 : 33

全国のイベント

外部出力