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雫石町桜松・除1・除2遺跡 盛岡市下猿田1遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/25167
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.25167
引用表記 岩手県埋蔵文化財センター 1982 『岩手県埋文センター文化財調査報告書29:雫石町桜松・除1・除2遺跡 盛岡市下猿田1遺跡』岩手県埋蔵文化財センター
岩手県埋蔵文化財センター 1982 『雫石町桜松・除1・除2遺跡 盛岡市下猿田1遺跡』岩手県埋文センター文化財調査報告書29
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書名 雫石町桜松・除1・除2遺跡 盛岡市下猿田1遺跡
発行(管理)機関 (公財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター - 岩手県
書名かな しずくいしちょうさくらまつ・のぞき1・のぞき2いせき もりおかししもさるた1いせき
副書名 御所ダム建設関連遺跡発掘調査報告書
巻次 昭和49年度・51年度・55年度
シリーズ名 岩手県埋文センター文化財調査報告書
シリーズ番号 29
編著者名
編集機関
岩手県埋蔵文化財センター
発行機関
岩手県埋蔵文化財センター
発行年月日 19820325
作成機関ID
郵便番号 020-0853
電話番号 019-638-9001
住所 岩手県紫波郡都南村大字下飯岡字高屋敷
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 除1遺跡
遺跡名かな のぞき1いせき
本内順位
遺跡所在地 岩手県盛岡市繋字除25地割1
所在地ふりがな いわてけんもりおかしつなぎあざのぞき25ちわり1
市町村コード 03201
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 394011.13
東経(世界測地系)度分秒 1410018.68
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 39.669758 141.005188
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19740401-19740514
調査面積(㎡)
900
調査原因 御所ダム建設に伴う緊急発掘調査
遺跡概要
種別
時代
主な遺構
主な遺物
特記事項
遺跡名 除2遺跡
遺跡名かな のぞき2いせき
本内順位
遺跡所在地 岩手県岩手郡雫石町西安庭第22地割字除92-3ほか
所在地ふりがな いわてけんいわてぐんしずくいしちょうにしあにわだい22ちわりあざのぞき92-3ほか
市町村コード 03301
遺跡番号 LE23-1206
北緯(日本測地系)度分秒 394004
東経(日本測地系)度分秒 1405956
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 39.6706 140.9954
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19760419-19760515
調査面積(㎡)
3400
調査原因 御所ダム建設に伴う緊急発掘調査
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
竪穴住居1
フラスコピット1
主な遺物
縄文土器(早期末 前期初頭 中〜晩期)
石鏃
石匙
箆状石器
磨製石斧
凹石
石皿
特記事項
遺跡名 下猿田1遺跡
遺跡名かな しもさるた1いせき
本内順位
遺跡所在地 岩手県盛岡市繋字下猿田地内
所在地ふりがな いわてけんもりおかしつなぎあざしもさるたちない
市町村コード 03201
遺跡番号 LE14-1193
北緯(日本測地系)度分秒 394118
東経(日本測地系)度分秒 1410158
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 39.6912 141.0293
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19740701-19740914
調査面積(㎡)
585
調査原因 御所ダム建設に伴う緊急発掘調査
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
竪穴住居4
主な遺物
縄文土器(早期 前期 後期 晩期)
石鏃
石槍
スクレーパー類
磨製石斧
凹石
特記事項
種別
その他
時代
不明
主な遺構
掘立柱建物跡2
土坑28
炉跡・焼土13
主な遺物
特記事項
遺跡名 桜松遺跡
遺跡名かな さくらまついせき
本内順位
遺跡所在地 岩手県岩手郡雫石町第18地割字野中9-1ほか
所在地ふりがな いわてけんいわてぐんしずくいしちょうだい18ちわりあざのなか9-1ほか
市町村コード 03301
遺跡番号 LE23-0220
北緯(日本測地系)度分秒 394035
東経(日本測地系)度分秒 1405935
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 39.6792 140.9896
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19760506-19760719
19800407-19800719
調査面積(㎡)
2000
7600
調査原因 御所ダム建設に伴う緊急発掘調査
遺跡概要
種別
集落
時代
主な遺構
竪穴住居(大木10)1
炉跡(埋設土器大木10)
ピット4
主な遺物
縄文土器(押型文 貝殻文 前期初頭 中期末〜後期初頭 後期末〜晩期初頭)
石鏃
石錐
石匙
石槍
スクレーパー類
石箆
トランシェ様石器
打製石斧
磨製石斧
磨石
凹石
石錘
環状石斧
剥片接合資料29
特記事項 土坑から出土した剥片接合資料
種別
時代
平安
鎌倉
主な遺構
周溝状遺構2
主な遺物
特記事項
種別
不明
時代
主な遺構
柱穴群
ピット5
陥し穴状遺構5
主な遺物
特記事項
要約 [除1遺跡 要約]
除1遺跡は田沢湖線雫石駅の南東約2.9kmの位置にある。標高182mの道路用地部分が調査対象となっている。分布調査の際、土師器細片を採集していたが、調査を開始して見ると表土の下は水分が多く谷地的な様相を呈していた。全域がそのような状況だったため調査を打ち切った。 
[除2遺跡 要約]
遺跡は雫石川右岸の洪積低位段丘上に立地している。標高は177m前後である。調査対象範囲は雫石町内だが遺跡の一部は盛岡市側に伸びている。調査の結果、竪穴住居1棟、フラスコピット1基が検出された。竪穴住居の時期は中期末葉で東側に1度拡張されている。フラスコピットからの出土遺物はない。遺物は早期から晩期まで出土している。 
[下猿田1遺跡 要約]
遺跡は御所ダムのダムサイトの南約600mの位置にあり標高は170〜175mである。現況は宅地及び畑であったがダム工事に伴い重機が往来し、著しい破壊を受けていた。調査は破壊の程度が少ない調査可能な残存部について行ったものである。調査の結果、縄文時代の竪穴住居4棟、時期不明の掘立柱建物跡2棟、土坑28基、炉跡・焼土13基が検出された。竪穴住居は出土遺物から縄文時代後期と考えられる。土坑の一部も同じ時期のものと考えられる。炉跡・焼土としたものの中には竪穴住居になるものもあると考えられるが、残存状況が悪く判断しかねた。縄文土器は早期、前期、後期、晩期と出土しているが遺構は後期以外は確認できなかった。 
[桜松遺跡 要約]
遺跡は田沢湖線雫石駅の東南約2kmに位置し、黒沢川の西の低位段丘上に立地する。標高は170.5m前後である。調査の結果、竪穴住居1棟、炉跡1基、ピット9基、陥し穴状遺構5基、周溝状遺構2基が検出された。竪穴住居は出土遺物から大木10式期と考えられる。炉跡についても土器が埋設されており同様の時期と判断される。柱穴群から4棟の建物が認識できたが、詳細な時期は不明である。ピットの内4基は縄文時代と考えられる。そのうち1基から剥片が大量に出土した。剥片同士は接合し、29の接合資料が得られた。トランシェ様石器を意識した資料もあり縄文早期末から前期初頭の資料と考えられる。

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