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史跡津軽氏城跡(弘前城跡)弘前城本丸石垣発掘調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/131330
引用表記 弘前市都市整備部公園緑地課弘前城整備活用推進室 2022 『史跡津軽氏城跡(弘前城跡)弘前城本丸石垣発掘調査報告書』弘前市都市整備部公園緑地課弘前城整備活用推進室
弘前市都市整備部公園緑地課弘前城整備活用推進室 2022 『史跡津軽氏城跡(弘前城跡)弘前城本丸石垣発掘調査報告書』
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ファイル
書名 史跡津軽氏城跡(弘前城跡)弘前城本丸石垣発掘調査報告書
発行(管理)機関 弘前市 - 青森県
書名かな しせきつがるししろあと(ひろさきじょうあと)ひろさきじょうほんまるいしがきはっくつちょうさほうこくしょ
副書名
巻次 令和3年度
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
弘前市都市整備部公園緑地課弘前城整備活用推進室
発行機関
弘前市都市整備部公園緑地課弘前城整備活用推進室
発行年月日 20220322
作成機関ID 02202
郵便番号 0368356
電話番号 0172338739
住所 青森県弘前市大字下白銀町1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 史跡津軽氏城跡弘前城跡弘前城
遺跡名かな しせきつがるししろあとひろさきじょうあとひろさきじょう
本内順位
遺跡所在地 青森県弘前市大字下白銀町1
所在地ふりがな あおもりけんひろさきしおおあざしもしろがねちょう
市町村コード 02202
遺跡番号 202074
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 403627
東経(世界測地系)度分秒 1402751
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 40.6075 140.464166
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20170409-20171228
20180407-20181212
20190513-20190729
20200511-20200729
20201214-20201218
調査面積(㎡)
2633
調査原因 本丸石垣解体修理
遺跡概要
種別
城館
散布地
時代
縄文
江戸
近代(細分不明)
主な遺構
石垣
井戸跡
排水遺構
埋没石垣
土坑
地鎮遺構(近代)
主な遺物
陶磁器(近世)
土師質土器(近世)
土製品(近世)
瓦(近世)
石製品(近世)
木製品(近世)
金属製品(近世)
銭貨(近世)
土師質(古代)
縄文土器
獣骨
種子
特記事項 本丸石垣東面の石垣解体修理に伴う発掘調査。
本報告書は、2019年3月に刊行した「弘前城本丸石垣発掘調査概報Ⅰ」の総括である。
本丸東面石垣は築城当初(慶長16(1611)年築城)、4~7段程度の腰巻石垣であり、その上部には石垣が築かれず、「土羽」の状態であった。その後、元禄7~12(1694~1699)年にこの「土羽」に石垣を築かれた。
昭和27・29(1894・1896)年、天守台(本丸南東隅)付近の石垣が崩落。天守崩壊を回避するため、天守を本丸内部へ曳家した上で、大正4(1915)年に修復工事が行われた。
発掘調査により、本丸東面石垣が5時期の変遷があることを確認。慶長(1611)年、17世紀中頃~寛文13(1673)年、元禄7~12(1694~1699)年、文化6(1809)年、明治27~大正4(1894~1915)年、大正4年~現在である。
絵図・文献では記されていない内濠石垣、元禄期に石垣内部へ埋め殺された埋没石垣を確認。
要約

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