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小田内沼(1)遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/62823
引用表記 青森県埋蔵文化財調査センター 1988 『青森県埋蔵文化財調査報告書107:小田内沼(1)遺跡』青森県教育委員会
青森県埋蔵文化財調査センター 1988 『小田内沼(1)遺跡』青森県埋蔵文化財調査報告書107
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ファイル
書名 小田内沼(1)遺跡
発行(管理)機関 青森県埋蔵文化財調査センター - 青森県
書名かな おだないぬまかっこいちいせき
副書名 三沢米軍住宅建設事業に係る埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 青森県埋蔵文化財調査報告書
シリーズ番号 107
編著者名
編集機関
青森県埋蔵文化財調査センター
発行機関
青森県教育委員会
発行年月日 19880315
作成機関ID 022012
郵便番号 0300042
電話番号 0177885701
住所 青森市大字新城字天田内152-15
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 小田内沼(1)遺跡
遺跡名かな おだないぬま1いせき
本内順位
遺跡所在地 三沢市大字三沢字淋代平116の1739
所在地ふりがな みさわしおおあざみさわあざさびしろたい116の1739
市町村コード 022071
遺跡番号 207026
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 404354
東経(世界測地系)度分秒 1412205
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 40.731666 141.368055
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19860512-19861017
調査面積(㎡)
13500
調査原因 米軍住宅建設事業
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
落し穴遺構(早期)5
土壙 27
溝状ピッ ト 2
埋設土器遺構(後期)3
焼土状遺構 2
主な遺物
土器(早期、後期)
石器
円盤状土製品(後期)
石刀
石製品
特記事項 縄文時代の遺構は主に、調査区域の東側~南側に分布する。遺構の時期は落し穴遺構と土壙1基は中掫浮石以前、他は中掫浮石降下以降である。

遺跡名かな:おだないぬまかっこいちいせき
種別
散布地
時代
弥生
続縄文
主な遺構
主な遺物
土器
特記事項
種別
集落
時代
奈良
主な遺構
竪穴住居跡 6
竪穴状遺構 1
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項 焼失家屋から建築部材や遺物が良好な状態で出土した。須恵器は県外からの搬入品と推定されている。
要約 縄文時代の遺構の中で注目されるのは、土壙底面に逆茂木を立てたと考えられる小ピットを有する「落し穴」遺構である。検出数5基は少ないものの、構造がより明確となり、縄文時代における狩猟方法の一端を知る良好な資料である。
弥生時代は北海道を主たる分布圏とする後北(江別)式土器が出土しており、該期に小川原湖周辺に北海道系土器文化が南下していたことが解り、今後彼我の交化交流の実態を知る上で貴重な資料である。
歴史時代では奈良時代後半に位置づけられる土師器が良好な状態で出土し、当時の住居跡を6軒検出した。6軒の竪穴住居跡は集落の一部と考えられる。
 今回の調査で本遺跡は、縄文時代後期と奈良時代後期半期の複合遺跡であることが判明した。ただし、今回調査した区域は、両時代ともに当時の集落の縁辺部であったことから、当時の集落全体を知るまでには至らなかった。いずれにしてもこの辺一帯は、古代人の生活に適した土地であったことは確かであり、今回の発掘調査の結果から本遺跡の規模は、まだまだ拡がり、大規模な遺跡である可能性が高い。

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