水田漁撈の視点から見た塚原遺跡検出「ため池状遺構」の再検討
二宮 満夫
東諸県郡国富町所在の塚原遺跡の発掘調査は、台地縁辺部とその眼下に広がる沖積低地部という対照的な地形を対象とし、このうち沖積低地部では、一部古墳時代後期後半に遡る溝状遺構等の検出もあったが、概ね古代以降の水田を主体とする生産域として利用されていたことが明らかとなった。
沖積低地部の遺構のひとつに、一直線に掘削された中世の溝SE7(SE8)の中途にある人工の「ため池状遺構」があった。その用途についてはさほど踏み込んだ検討もせずに終わった。
しかしその後、江浦洋氏の論考「考古学からみた水田と淡水漁撈」(江浦2012)を思いがけず手に取ることとなり、自身も恥ずかしながら全く知らなかったコイやフナが水田に遡上して産卵することや「淡水漁撈」の視点などが、先の「ため池状遺構」の理解に有効かもしれないという思いに至った。
そこで本稿では、水田域における漁撈という着眼点をもとに「ため池状遺構」を改めて見直し、今後、県内において類似する遺構等が検出された際の新たな視点となることを期待して再検討を行う。
沖積低地部の遺構のひとつに、一直線に掘削された中世の溝SE7(SE8)の中途にある人工の「ため池状遺構」があった。その用途についてはさほど踏み込んだ検討もせずに終わった。
しかしその後、江浦洋氏の論考「考古学からみた水田と淡水漁撈」(江浦2012)を思いがけず手に取ることとなり、自身も恥ずかしながら全く知らなかったコイやフナが水田に遡上して産卵することや「淡水漁撈」の視点などが、先の「ため池状遺構」の理解に有効かもしれないという思いに至った。
そこで本稿では、水田域における漁撈という着眼点をもとに「ため池状遺構」を改めて見直し、今後、県内において類似する遺構等が検出された際の新たな視点となることを期待して再検討を行う。