岡田茂左衞門家と深江
大国 正美
( Okuni Masami )
岡田茂左衞門家は江戸時代に漁業に携わり、中頃から網屋という屋号を使い、深江村の庄屋・年寄など村役人を代々務めてきた。明治二十二年(一八八九)に深江村・青木村・西青木村が合併して本庄村が誕生すると、岡田家八代目の岡田正蔵が三代目村長に、正蔵の弟岡田善蔵が四代・六代・八代村長、岡田家九代目の岡田茂左衛門(初名正市)が一二代村長に就任している。三代目正蔵から同居する弟善蔵に四代目村長にと後継指名されたと伝える。
小稿では岡田茂義氏が執筆した「深江の心象風景」の連載を始めるにあたって、岡田茂左衞門家の紹介と、深江を離れた今もルーツへの思いを受け継ぐ人々がいることを記録しておこうと思う。
小稿では岡田茂義氏が執筆した「深江の心象風景」の連載を始めるにあたって、岡田茂左衞門家の紹介と、深江を離れた今もルーツへの思いを受け継ぐ人々がいることを記録しておこうと思う。