円蔵 下ヶ町第24次調査
三戸 智也
伊藤 俊一
本調査地点では調査区を縦断する第1a号・1b号・4号溝などが検出され、16~18世紀の長い時期にわたり機能していたことが確認された。事業地境界には水路敷が延びるが、水路敷は第1a号・1b号溝を掘り直したと考えられる。この溝群の北東側延長は、第8次・第3次調査地点で発見されている大溝に接続すると考えられ、付近地の地割りを形成する大区画として機能したと考えられる。なお18世紀以降に第4号溝が埋没して凹地になると、凹地に第1号土壙墓や第1号集石が設けられた。
13世紀代のかわらけ・片口鉢、また青磁片が出土し、この頃の人的活動の痕跡を確認することができた。
古代~中世とした遺構はピット3穴にとどまったが、出土遺物の主体は土師器であり、古代の遺物散布地であることが確認された。なお古墳時代前期の遺物も極少量含まれる。
13世紀代のかわらけ・片口鉢、また青磁片が出土し、この頃の人的活動の痕跡を確認することができた。
古代~中世とした遺構はピット3穴にとどまったが、出土遺物の主体は土師器であり、古代の遺物散布地であることが確認された。なお古墳時代前期の遺物も極少量含まれる。
三戸智也,伊藤俊一 2025「円蔵 下ヶ町第24次調査」 『茅ヶ崎市埋蔵文化財調査集報Ⅻ』茅ヶ崎市埋蔵文化財調査報告
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/article/126897
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