城柵との比較からみた鞠智城の管理・経営体制
岡﨑 怜央
( Okazaki Reo )
本稿は近年の城柵研究の進展を受け、鞠智城と東北の城柵について、両者の軍事・支援機能に加え、管理・経営体制の面からも比較分析を加えることで、築城時と九世紀、それぞれの鞠智城の機能とその社会的位置づけを論じたものである。
第一章では、築城時における鞠智城の軍事・支援機能に比較分析を加え、前者については由理柵と覚鱉城における軍事機能から、後者については多賀城から胆沢城に対する軍粮・兵員輸送の事例から検討を加えた。その結果として、鞠智城が古代官道である「車路」沿いにあることで、敵の侵入を遮断する機能を有し、かつ百キロメートル以内において支援機能を有するため、大宰府に対する支援機能を発揮し得たと結論付けた。
第二章では、築城時における鞠智城の管理・経営体制について比較分析を行った。そこでは最初に、城柵が有事にも自律的に蝦夷支配を展開できるよう、柵戸と夷俘を経営基盤として人的・物的資源をある程度自給自足する経営体制を有していたことを確認した。これに対し、鞠智城は大宰府の管理・指揮下にて機能することが想定されており、城柵のような自律性は有していなかったと結論付けた。
第三章では、九世紀における鞠智城の管理・経営体制について比較分析を行った。なかでも九世紀の大宰府管内における軍備縮小と、新羅に対する警戒感の高まりに注目し、鞠智城ではこうした情勢の下、経営維持のために周辺集落が経営基盤に組みこまれたと推測した。この結果、鞠智城は城柵と同様、人的・物的資源をある程度自給自足し、有事には周辺住民と城柵とが一体となって防衛にあたる、自律的な組織として再編成されたことを明らかにした。またこの再編成によって鞠智城は、軍備縮小により軍粮や兵員の輸送が困難となる大宰府管内において、肥後国における対新羅用の軍事拠点として、高い戦略的価値を有するようになったと結論付けた。
第一章では、築城時における鞠智城の軍事・支援機能に比較分析を加え、前者については由理柵と覚鱉城における軍事機能から、後者については多賀城から胆沢城に対する軍粮・兵員輸送の事例から検討を加えた。その結果として、鞠智城が古代官道である「車路」沿いにあることで、敵の侵入を遮断する機能を有し、かつ百キロメートル以内において支援機能を有するため、大宰府に対する支援機能を発揮し得たと結論付けた。
第二章では、築城時における鞠智城の管理・経営体制について比較分析を行った。そこでは最初に、城柵が有事にも自律的に蝦夷支配を展開できるよう、柵戸と夷俘を経営基盤として人的・物的資源をある程度自給自足する経営体制を有していたことを確認した。これに対し、鞠智城は大宰府の管理・指揮下にて機能することが想定されており、城柵のような自律性は有していなかったと結論付けた。
第三章では、九世紀における鞠智城の管理・経営体制について比較分析を行った。なかでも九世紀の大宰府管内における軍備縮小と、新羅に対する警戒感の高まりに注目し、鞠智城ではこうした情勢の下、経営維持のために周辺集落が経営基盤に組みこまれたと推測した。この結果、鞠智城は城柵と同様、人的・物的資源をある程度自給自足し、有事には周辺住民と城柵とが一体となって防衛にあたる、自律的な組織として再編成されたことを明らかにした。またこの再編成によって鞠智城は、軍備縮小により軍粮や兵員の輸送が困難となる大宰府管内において、肥後国における対新羅用の軍事拠点として、高い戦略的価値を有するようになったと結論付けた。
岡﨑 怜央 2025「城柵との比較からみた鞠智城の管理・経営体制」 『鞠智城と古代社会』鞠智城跡「特別研究」論文集
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/article/125708