総括
佐藤 祐樹
( SATO Yuki )
東平遺跡は、静岡県東部、富士山南麓に広がる大淵扇状地の緩斜面上に位置する。遺跡の西には伝法沢川が流れ、潤井川から分岐した小潤井川に合流し駿河湾へと至る。遺跡の南東部に所在する富知六所浅間神社周辺は富士山の溶岩末端部分に位置し現在も湧水が認められており、そこから駿河湾へ注ぎ込む。また、調査地点の西方130m には、直径54m に復元される古墳時代後期初頭頃の円墳(もしくは造り出し付き円墳)と想定されている静岡県指定史跡 伊勢塚古墳が占地している。
調査の結果、東平遺跡第43 地区では、竪穴建物や掘立柱建物はまったく検出されず、古代の土器もほぼ認められないものの南北方向に伸びる幅1.5m の溝(SD4001)が調査区を貫くように延びることが明らかとなった。出土資料に乏しく溝の使用年代が不安定なものの、覆土の様相などから古代のものと推測される。溝の用途としては伊勢塚古墳を含む墓域と居住域の空間を区画する役割や用水路の用途など様々なことが想定されるがいずれも決定的ではない。
今後、奈良時代以降の東平遺跡における建物方位の推移を再検討し、地形に左右されない何らかの方位規制のあり方やその要因とも想定される古代東海道との関連、もしくは遺構が密集しないという調査成果を積極的に理解し、それらを含めた土地利用のあり方について再考する必要がある。
調査の結果、東平遺跡第43 地区では、竪穴建物や掘立柱建物はまったく検出されず、古代の土器もほぼ認められないものの南北方向に伸びる幅1.5m の溝(SD4001)が調査区を貫くように延びることが明らかとなった。出土資料に乏しく溝の使用年代が不安定なものの、覆土の様相などから古代のものと推測される。溝の用途としては伊勢塚古墳を含む墓域と居住域の空間を区画する役割や用水路の用途など様々なことが想定されるがいずれも決定的ではない。
今後、奈良時代以降の東平遺跡における建物方位の推移を再検討し、地形に左右されない何らかの方位規制のあり方やその要因とも想定される古代東海道との関連、もしくは遺構が密集しないという調査成果を積極的に理解し、それらを含めた土地利用のあり方について再考する必要がある。