広島城跡及び城下町跡におけるキリシタン関連遺跡について
重森 正樹
( Shigemori Masaki )
広島は江戸時代初頭の福島正則が統治していた時にはその保護の元に日本において最もキリスト教の布教が盛んな場所であった。中でもその教会跡地は毛利輝元統治時より家臣が常住していた地所であり、その痕跡は残っているものと推察できる。また、信者の層は毛利氏及び福島氏統治時にはイエズス会の布教方針に沿って武士階級などの支配者層に多く、浅野氏統治時にはイエズス会以外の托鉢修道会士の布教もあり町民などにも広がったことから、キリスト教関連遺物の出土の可能性は主に武士階級が住んでいた地域から広島城下町全体に広がるものと推測する。本稿ではさらに過去に日本で発掘調査された遺跡を紹介し、広島でどのような遺構や遺物が地中に遺存しているかその可能性を述べた。文献や絵図で明確に場所が推定できる教会跡地の保護への対応が必要と考える。