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星岡遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/88725
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.88725
引用表記 公益財団法人松山市文化・スポーツ振興財団埋蔵文化財センター 2015 『松山市文化財調査報告書178:星岡遺跡』松山市教育委員会
公益財団法人松山市文化・スポーツ振興財団埋蔵文化財センター 2015 『星岡遺跡』松山市文化財調査報告書178
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書名 星岡遺跡
発行(管理)機関 松山市 - 愛媛県
書名かな ほしおかいせき
副書名 1次・3次調査
巻次
シリーズ名 松山市文化財調査報告書
シリーズ番号 178
編著者名
編集機関
公益財団法人松山市文化・スポーツ振興財団埋蔵文化財センター
発行機関
松山市教育委員会
発行年月日 20150331
作成機関ID 38201
郵便番号 7918032
電話番号 0899236363
住所 愛媛県松山市南斎院町乙67-6
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 星岡遺跡1次・3次調査
遺跡名かな ほしおかいせき
本内順位
遺跡所在地 愛媛県松山市星岡一丁目630番1・634番1ほか
所在地ふりがな えひめけんまつやましほしおか一ちょうめ630番1・634番1ほか
市町村コード 38201
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 334913.726
東経(世界測地系)度分秒 1324715.052
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.820479 132.787514
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20070910-20071009
20101201-20110107
調査面積(㎡)
124
138
調査原因 倉庫建設・宅地造成
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
古墳
奈良
平安
主な遺構
竪穴住居
掘立柱建物
土坑
柱穴
主な遺物
弥生土器
土師器
須恵器
陶器
石器
銭貨
特記事項  星岡遺跡1次調査で、福音寺地区の大集落の縁辺部に、8世紀代以降の掘立柱建物が一定程度存在することが明らかとなった。
 星岡遺跡3次調査の掘立柱建物の柱穴から、古瀬戸の花瓶と皇宋通寶が出土した。
要約  古墳時代の集落遺跡として知られる福音小学校構内遺跡から南西300mほどに位置する星岡遺跡の発掘調査報告書である。国庫補助を受けて調査と整理を実施した同2次調査については、既に『第154集』にて報告している。両調査地とも福音小学校構内遺跡を中心とする古墳時代中期の大集落の西南縁辺部に近い場所に立地しており、高い密度で遺構が検出された。以前から知られていたことではあるが、奈良時代や平安時代前期の掘立柱建物や土坑が少数ながら新たに検出されたことに注目している。いずれも狭小な調査区ではあるが、一定程度、当該期の建物が検出される状況から、久米官衙の下部組織などが近くに存在したのではないかと想像している。また、両調査地付近は、近世久米郡の旧石井村が同郡の旧久米村にくい込むように北へ張り出した場所に立地しているが、これは微高地の縁辺部で地下水位が高い当該地周辺を石井村が水源として取り込んだ結果ではないかと想像している。『第154集』にて指摘した近隣の小さな泉と浅い谷状の地形に引き続き着目することによって、中近世にとどまらず古代の集落についても、その立地のあり方を説明できないか検討を行っている。

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