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柳沢家駒込屋敷(六義館・六義園)跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/88646
引用表記 大成エンジニアリング株式会社 埋蔵文化財調査部門 2012 『B-117:柳沢家駒込屋敷(六義館・六義園)跡』丸紅株式会社
大成エンジニアリング株式会社 埋蔵文化財調査部門 2012 『柳沢家駒込屋敷(六義館・六義園)跡』B-117
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ファイル
書名 柳沢家駒込屋敷(六義館・六義園)跡
発行(管理)機関 文京区 - 東京都
書名かな やなぎさわけこまごめやしき むくさのたち むくさのその あと
副書名 文京区本駒込六丁目373番地内の開発事業に伴う埋蔵文化財発掘調査
巻次
シリーズ名
シリーズ番号 B-117
編著者名
編集機関
大成エンジニアリング株式会社 埋蔵文化財調査部門
発行機関
丸紅株式会社
発行年月日 20121228
作成機関ID
郵便番号
電話番号
住所
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 柳沢家駒込屋敷(六義館・六義園)跡
遺跡名かな やなぎさわけこまごめやしきあと
本内順位
遺跡所在地 東京都文京区本駒込六丁目373番地
所在地ふりがな とうきょうとぶんきょうくほんこまごめ6-373
市町村コード 13105
遺跡番号 85
北緯(日本測地系)度分秒 354353
東経(日本測地系)度分秒 1394452
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.7346 139.7446
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20111101-20111215
20111219-20121228
調査面積(㎡)
190
調査原因 文京区本駒込六丁目373番地内の開発事業
遺跡概要
種別
集落
時代
近世(細分不明)
近代(細分不明)
主な遺構
溝跡3
地下室4
土坑19
植栽痕22
柱穴10
小穴14
礎石5
地業址2
主な遺物
磁器
陶器
炻器
土器
土製品
瓦類
金属製品
木製品
ガラス製品
石製品
自然遺物
土類
生産関連遺物
近代遺物
縄文土器
特記事項 堀溝意向検出
柳沢家下屋敷跡
遺物総点数7538点、総重量266,464g

遺跡名かな:やなぎさわけこまごめやしき むくさのたち むくさのその あと
要約  本遺跡は、文光区本駒込六丁目373番地に所在する。調査地点の北側には、国特別名勝の「六義園」が広がる。江戸時代の本遺跡一帯は、大名屋敷地、旗本屋敷地であった。江戸時代、本遺跡は加賀藩前田家の下屋敷の一角であり、周囲には藤堂家下屋敷、土井家などの大名屋敷が置かれていた。その後、元禄8(1695)年に、五代将軍徳川綱吉の側用人であった柳沢吉保が敷地45,862坪を拝領、下屋敷として活用され、元禄15(1695)年には六義園を築庭した。以後、六義園を中心に柳沢家は幕末まで拝領し続けることになるが、元文4(1739)年に柳沢家は敷地南東側一帯が上地され、田安宗武が拝領し、その後旗本屋敷地として区割りされることになる。本調査地点も、「御駕籠之者大繩地」へと変わり、幕末以降は、三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎によって、六義園を含む広大な土地が購入された。
 本遺跡からは、同一の意向確認面から廃絶時期の異なる遺構が77基検出された。中でも、南北に走る54・55号遺構(堀溝)は、一度掘削した溝を転圧して埋戻し、同主軸で内側を再掘削したのち、側面は土留めされた構造であった。遺構年代は18世紀前葉依然と比定され、前田家または柳沢家の所産と推定される。また、28号遺構(溝跡)は東西に走る溝で、延享4年頃に柳沢家の南東側に置かれた御駕籠之者大繩地との区画溝と推定される。18世紀末葉から19世紀中葉の遺構からは、街区を意識した様子が見られ、遺構の切り合いも少なく、整然とした遺構配置が窺われる。本遺跡から検出された地下室、土坑、植栽列といった遺構性格や、遺構密度の薄さを考慮すると、御駕籠之者大繩地の屋敷地でも奥空間に位置づけられ、垣根を用いてさらにその裏手を使用していると考えられる。

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