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東京都文京区 本郷台遺跡群第4地点

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/72610
引用表記 テイケイトレード株式会社埋蔵文化財事業部 2018 『B-169:東京都文京区 本郷台遺跡群第4地点』ヒューリック株式会社
テイケイトレード株式会社埋蔵文化財事業部 2018 『東京都文京区 本郷台遺跡群第4地点』B-169
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ファイル
書名 東京都文京区 本郷台遺跡群第4地点
発行(管理)機関 文京区 - 東京都
書名かな とうきょうとぶんきょうくほんごうだいいせきぐんだい4ちてん
副書名 (仮称)文京弥生PJ新築工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号 B-169
編著者名
編集機関
テイケイトレード株式会社埋蔵文化財事業部
発行機関
ヒューリック株式会社
発行年月日 20181130
作成機関ID 13105
郵便番号
電話番号
住所
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 本郷台遺跡群
遺跡名かな ほんごうだいいせきぐん
本内順位
遺跡所在地 東京都文京区弥生2丁目6-16
所在地ふりがな とうきょうとぶんきょうくやよい2-6-16
市町村コード 13105
遺跡番号 47
北緯(日本測地系)度分秒 354254
東経(日本測地系)度分秒 1394547
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.7182 139.7598
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20171010-20171225
調査面積(㎡)
400
調査原因 (仮称)文京弥生PJ新築工事
遺跡概要
種別
集落
その他
時代
縄文
主な遺構
主な遺物
土器4
特記事項 縄文時代中期後半から後期にかけての土器片が出土した
種別
集落
その他
時代
弥生
主な遺構
主な遺物
土器3
特記事項 弥生時代後半の久ヶ原式・弥生町式と考えられる土器片が出土した。
種別
集落
その他
時代
古墳
奈良
平安
主な遺構
主な遺物
土師器6
須恵器3
灰釉陶器2
瓦1
特記事項 古墳時代から平安時代にかけての土師器・須恵器の断片と平安時代の灰釉陶器・瓦が出土した。瓦は硯に転用されている。
種別
集落
その他
時代
中世(細分不明)
アイヌ文化期
主な遺構
主な遺物
陶器2
特記事項 常滑産の片口鉢と甕の破片が出土した。
種別
集落
その他
時代
江戸
主な遺構
建物跡3
土塁状遺構2
水利施設(上水か)1
溝状遺構7
井戸3
埋桶4
植栽痕4
土坑38
柱穴列1
礎石列3
土器埋納遺構13
小穴42
礎石33
主な遺物
磁器1974
陶器3084
炻器156
土器1169
瓦1812
土製品20
金属製品141
木材・繊維製品145
骨角製品1
ガラス製品4
石製品105
自然遺物15
壁土・漆喰8
特記事項 ・3面の生活面を確認した。第2~4面が江戸時代に該当する。
・第4面からは水戸藩拝領後と考えれる谷部の人為的な埋め立てが確認された。
・第2面の調査区南側からは水利施設である048号、その上位から溝状遺構の001号、土塁状遺構の008・009号が検出された。
・第2・3面では胞衣埋葬の可能性が高い土器埋納遺構が多く検出された。
・第2面検出の001号と1・2号建物跡は『向陵弥生町旧水戸邸絵図面』に描かれれている白い帯状の線と建物に該当する可能性が高い。
種別
集落
その他
時代
近代(細分不明)
主な遺構
射的場防護壁1
主な遺物
近代以降363
特記事項 ・明治10~21(1877~88)年に調査地点に存在した射的場に関する防護壁の残存部が検出された。
・防護壁残存部の上位には明治21年以降の生活面(第1面)を確認した。
要約  本遺跡は武蔵野台地の東端を形成する本郷台上に立地し、本調査地点は本郷台の端部に開析された谷部に位置している。調査地点周辺は元和6(1622)年に水戸藩駒込邸となり、当初は下屋敷、元禄6(1693)年以降は中屋敷として利用される。本調査地点は、文政9(1826)年銘の『向陵弥生町旧水戸邸絵図面』によれば、藩邸の中央部南端あたり、推定部分には白い帯状の線と建物が描かれている。明治時代以降は、明治2(1869)年に明治政府に公収され、旧駒込邸内では茶・桑の生産が行われる。明治6(1873)年に陸軍及び文部省用地、明治9(1876)年には東京府・文部省・警視局の用地となる。調査地点周辺は警視局の用地にあたり、明治10~21(1877~88)にかけ射的場として利用されている。調査地点は射的場の射場周囲に築かれた防護壁の南側中央部にあたる。射的場は明治21年(1888)に大森へ移転し、調査地点の周辺は宅地化されている。
 調査の結果、江戸時代の生活面3面と射的場防護壁の残存部、明治時代の生活面1面が確認された。江戸時代の遺物は17世紀中葉から19世紀中葉のものがみられる。江戸時代の生活面は第2~4面が該当し、第4面からは水戸藩拝領後の17世紀前葉から中葉に行われたと考えられる谷部の人為的な埋め立てが確認された。第3面は18世紀中葉から19世紀初頭にかけてであり、調査区の北西側からは区画と考えられる溝状遺構と柱穴列、北東側からは建物跡、その西側からは土器埋納遺構が多く検出された。第2面は19世紀前葉から後葉にかけてである。調査区の北半分からは礎石列と建物跡が検出され、その周囲や範囲内からは土器埋納遺構が多く認められた。南半分からは北西から南東方面に延びる木樋を伴う水利施設とその上位より溝状遺構、土塁状遺構が検出された。第2面の上位には射的場防護壁が残存している。この上位からは第1面である明治21(1888)年以降、宅地化した際の生活面が確認された。また、小破片だが、江戸時代以前の遺物として縄文時代から中世の遺物が認められる。中でも弥生時代の遺物では久ヶ原式・弥生町式と考えられる土器が出土しており、東京大学構内の調査で確認された方形周溝墓や向ヶ岡貝塚との関連が想定される。江戸時代から明治時代にかけては台地縁辺の谷地における水戸藩駒込邸期から射的場期、宅地下期までの変遷を捉えることが出来た。

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