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祥雲寺跡・浄福寺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/72580
引用表記 テイケイトレード株式会社埋蔵文化財事業部 2017 『B-151:祥雲寺跡・浄福寺跡』合同会社ALERO10
テイケイトレード株式会社埋蔵文化財事業部 2017 『祥雲寺跡・浄福寺跡』B-151
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ファイル
書名 祥雲寺跡・浄福寺跡
発行(管理)機関 文京区 - 東京都
書名かな しょううんじあと じょうふくじあと
副書名 (仮称)ALERO白山2新築工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号 B-151
編著者名
編集機関
テイケイトレード株式会社埋蔵文化財事業部
発行機関
合同会社ALERO10
発行年月日 20170630
作成機関ID 13105
郵便番号
電話番号
住所
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 祥雲寺跡・浄福寺跡
遺跡名かな しょううんじあと・じょうふくじあと
本内順位
遺跡所在地 東京都文京区白山2丁目8-11
所在地ふりがな とうきょうとぶんきょうくはくさん
市町村コード 13105
遺跡番号 130
北緯(日本測地系)度分秒 354256
東経(日本測地系)度分秒 1394456
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.7188 139.7457
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20170420-20190619
調査面積(㎡)
207
調査原因 集合住宅新築工事
遺跡概要
種別
社寺
時代
江戸
近代(細分不明)
主な遺構
埋葬遺構149
墓標台石4
土坑19
埋甕1
杭列3
かわらけ埋納遺構1
主な遺物
磁器814
陶器1664
炻器2393
土製品58
金属製品370
木材・繊維製品2676
木棺部材片1401
ガラス製品20
石製品45
自然遺物10272
壁土・漆喰12
中世以前遺物2
近代以降遺物292
特記事項 埋蔵遺構内訳
木槨埋棺墓3・木槨木棺墓1・甕棺墓43・方形木棺墓31・円形木棺墓51・土器棺墓10・蔵骨器9・再埋葬墓1
調査成果から西側が浄福寺、東側が祥雲寺の墓域と推定
166号以降から水戸藩家老朝比奈弥太郎泰然の墓誌出土
144号以降から和紙に木版印刷された血盆経と信州善光寺の血脈が出土
要約  本調査地点は、江戸時代から明治時代にかけて曹洞宗瑞鳳山祥雲寺とその末寺法泉山浄福寺の境内に位置していたことが推定された。また、調査成果より墓域として利用された部分にあたることが判明した。祥雲寺は天文元(1532)年、江戸城和田門内に創建された。創建当初は「浄光寺」と称されていた。後北条氏滅亡後、徳川家康の江戸入府に伴い、神田台、小日向郷金杉村と移転を繰り返し、寛永13(1636)年に調査地点周辺の戸崎町へ移転してくる。「祥雲寺」への改号は宝永6(1709)年のことである。浄福寺は正保3(1646)年、祥雲寺の寺内に創建された。先行研究から祥雲寺は大名、旗本、諸藩士など武家の菩提寺、浄福寺は町人など庶民の菩提寺とされる。
 調査では149基の埋葬遺構が検出され、調査区の西側は円形木棺墓、中央から西側は甕棺墓を主体とする様相が確認された。主に円形木棺は町人や下級武士、甕棺は旗本などの武家に用いられたとされている。そのため、調査区の西側が浄福寺、中央から東側が祥雲寺の墓域と推定することができた。墓域として利用されるのは18世紀後葉から末葉以降である。また、166号遺構からは水戸藩家老朝比奈弥太郎泰然の墓誌、144号遺構からは木版印刷の血盆経と信州大本願善光寺の血脈が出土した。

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