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神成松遺跡第9地点

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/71665
引用表記 株式会社アーク・フィールドワークシステム 2016 『神奈川県埋蔵文化財発掘調査報告書51:神成松遺跡第9地点』株式会社アーク・フィールドワークシステム
株式会社アーク・フィールドワークシステム 2016 『神成松遺跡第9地点』神奈川県埋蔵文化財発掘調査報告書51
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ファイル
書名 神成松遺跡第9地点
発行(管理)機関 神奈川県教育委員会 - 神奈川県
書名かな かみなりまついせきだい9ちてん
副書名 県道603号(上粕屋厚木)地方道路等整備工事に伴う発掘調査
巻次
シリーズ名 神奈川県埋蔵文化財発掘調査報告書
シリーズ番号 51
編著者名
編集機関
株式会社アーク・フィールドワークシステム
発行機関
株式会社アーク・フィールドワークシステム
発行年月日 20161125
作成機関ID
郵便番号 2410821
電話番号 0453655522
住所 神奈川県横浜市旭区二俣川1-2-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 神成松遺跡第9地点
遺跡名かな かみなりまついせき
本内順位
遺跡所在地 神奈川県伊勢原市上粕屋神成松
所在地ふりがな かばがわけんいせはらしかみかすやかみなりまつ
市町村コード 14214
遺跡番号 伊勢原市№74
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 352451
東経(世界測地系)度分秒 1391727
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.414166 139.290833
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20160418-20160706
調査面積(㎡)
268
調査原因 道路改良工事
遺跡概要
種別
集落
散布地
時代
縄文
古墳
飛鳥白鳳
奈良
平安
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
土坑-1(近世以降)
溝状遺構-4(近世以降)
集石-5(近世以降)
道状遺構‐2(近世以降)
段切り状遺構‐1(近世以降)
畝状遺構‐1(近世以降)
溝状遺構-4(中世)
ピット‐13(中世)
土坑‐3(古墳~奈良・平安)
ピット‐92(古墳~奈良・平安)
陥し穴-2(縄文)
土坑‐6(縄文)
ピット‐34(縄文)
主な遺物
磁器(近世以降)
陶器(近世以降)
土器(近世以降)
石製品(近世以降)
舶載青磁(中世)
陶器(中世)
土師器(古墳~奈良・平安)
須恵器(古墳~奈良・平安)
土器(縄文)
石器(縄文)
特記事項 (近世以降)現道の前身と考えられる側溝を伴う道状遺構を検出
(中世)第3地点と第7地点で検出した溝状遺構の続きを確認
(縄文時代)ローム漸移層より御子柴型石斧が出土
要約 神成松遺跡は上粕屋扇状地の中央北西寄りの地点に立地し、これまでも8地点において調査が実施されている。第9地点の調査区は第2地点と第3・7地点に挟まれた伊勢原市道88号線部分の1地点と、第4地点D区と第2地点に挟まれた伊勢原市道662号線部分の2地点の2ヶ所の調査区から成る。いずれの調査区も現道下より前身と考えられる側溝を伴う道状遺構を確認した。出土遺物や他遺構との重複関係から近世前半頃には設けられており、初現は中世にまで遡る可能性も十分考えられる。中世の溝状遺構は既に第3地点と第7地点で確認されていた溝状遺構の続きにあたり遺存状態は不良であった。溝状遺構は同一地点、同一方向に複数彫り込まれており、区画溝としての役割が考えらえる。古墳時代から奈良・平安時代ほ遺構の存在が希薄な部分に位置しており、土坑3基の確認に止まった。縄文時代も遺構・遺物の確認、出土が僅かであったが大型の陥し穴や、単独の出土ではあったが草創期の所産と考えられる御子柴型石斧の未成品の出土は注目される。

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