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沖田遺跡第155次調査地点

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/71630
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.71630
引用表記 富士市教育委員会(富士市市民部文化振興課) 2020 『富士市埋蔵文化財調査報告68:沖田遺跡第155次調査地点』富士市教育委員会(富士市市民部文化振興課)
富士市教育委員会(富士市市民部文化振興課) 2020 『沖田遺跡第155次調査地点』富士市埋蔵文化財調査報告68
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書名 沖田遺跡第155次調査地点
発行(管理)機関 富士市 - 静岡県
有償頒布・配布ページ https://www.city.fuji.shizuoka.jp/kyouiku/c0403/fmervo000000aysq.html
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな おきたいせき だい155じちょうさちてん
副書名
巻次
シリーズ名 富士市埋蔵文化財調査報告
シリーズ番号 68
編著者名
編集機関
富士市教育委員会(富士市市民部文化振興課)
発行機関
富士市教育委員会(富士市市民部文化振興課)
発行年月日 20200331
作成機関ID 222101
郵便番号 4178601
電話番号 0545552875
住所 静岡県富士市永田町1丁目100番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 沖田遺跡
遺跡名かな おきたいせき
本内順位 1
遺跡所在地 富士市比奈643-1
所在地ふりがな ふじしひな
市町村コード 222101
遺跡番号 53
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 350944.72
東経(世界測地系)度分秒 1384251.50
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.162422 138.714305
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20180131
20180307-20180327
20180403-20180511
調査面積(㎡)
18.450
260.570
290.597
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
その他
時代
弥生
古墳
飛鳥白鳳
奈良
平安
主な遺構
畦畔
水路
小穴
掘立柱建物跡
土坑
主な遺物
縄文土器
弥生土器
土師器
墨書土器
須恵器
転用硯
灰釉陶器
礎板
鉄滓
特記事項
要約  沖田遺跡は北は富士山と愛鷹山、南方には富士川河口から沼津市狩野川までつづく田子の浦砂丘に面している。駿河湾から内湾である浮島ヶ原低地に入る玄関口であるかつての吉原湊の北側低地部に展開する遺跡である。新富士火山溶岩と地下水リザーバーである古富士泥流の境界付近には多数の湧水地点が展開している。
 本調査地点では、9 世紀中葉から後葉に掘立柱建物跡(SH4001)や土坑(SK4001)、土器集中(SX4001)が認められており、この地点が生活域であったことを明確に示している。また、土坑や土器集中から「南寺」「寺」と墨書きされた墨書土器が見つかったことは注目される。SK4001 は「南寺」と墨書された坏が遺構中心で伏せられて出土しており、意図的に土器を埋めた土器埋納遺構と位置づけられよう。
 今回の調査結果から生活域として使用されていた9 世紀中葉から後葉は水位が比較的低く、10 世紀に入り地下水位の上昇を背景に排水を目的とした大溝構築や生活域としての放棄・移動が推定され、浮島ヶ原低地で起こる環境の変化に人々が対応していたことが確認されたといえるだろう。

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