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諏訪前A遺跡第12地点

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/71420
引用表記 玉川文化財研究所 2015 『神奈川県埋蔵文化財発掘調査報告書34:諏訪前A遺跡第12地点』玉川文化財研究所
玉川文化財研究所 2015 『諏訪前A遺跡第12地点』神奈川県埋蔵文化財発掘調査報告書34
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ファイル
書名 諏訪前A遺跡第12地点
発行(管理)機関 神奈川県教育委員会 - 神奈川県
書名かな すわまえ Aいせき だい12 ちてん
副書名 都市計画道路3・3・6号湘南新道街路整備事業に伴う発掘調査
巻次
シリーズ名 神奈川県埋蔵文化財発掘調査報告書
シリーズ番号 34
編著者名
編集機関
玉川文化財研究所
発行機関
玉川文化財研究所
発行年月日 20150722
作成機関ID
郵便番号 2210822
電話番号 0453215565
住所 神奈川県横浜市神奈川区西神奈川1-8-9
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 諏訪前A遺跡第12地点
遺跡名かな すわまええーいせき
本内順位
遺跡所在地 神奈川県平塚市ほ東真土二丁目地内
所在地ふりがな かながわけんひらつかしひがししんどにちょうめちない
市町村コード 14203
遺跡番号 平塚市№206
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 352116
東経(世界測地系)度分秒 1392120
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.354444 139.355555
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20140415-20141215
調査面積(㎡)
1.218.7
調査原因 街路整備事業
遺跡概要
種別
時代
古墳
飛鳥白鳳
奈良
平安
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
道状遺構-1(近世以降)
溝状遺構 - 5(近世以降)
土坑‐21(近世以降)
畝状遺構 - 38(近世以降)
ピット-17(近世以降)
土坑‐11(中世)
畝状遺構 - 25(中世)
ピット-25(中世)
竪穴住居址 - 45(古墳後期~平安)
掘立柱建物跡 - 3(古墳後期~平安)
竪穴状遺構-2(古墳後期~平安)
道状遺構-1(古墳後期~平安)
溝状遺構-13(古墳後期~平安)
井戸址-2(古墳後期~平安)
土坑-62(古墳後期~平安)
ピット-172(古墳後期~平安)
主な遺物
国産陶磁器(近世以降)
銅銭(近世以降)
国産陶磁器(中世)
舶載磁器(中世)
須恵器(古墳後期~平安)
土師器(古墳後期~平安)
灰釉陶器(古墳後期~平安)
土製品(古墳後期~平安)
石製品(古墳後期~平安)
鉄製品(古墳後期~平安)
特記事項
要約 今回の調査では、主に近世以降、中世、古墳時代後期~奈良・平安時代の以降・遺物を検出した。その中心は古墳時代後期~奈良・平安時代の集落跡で、古墳時代後期(7世紀)に始まり、10世紀後半まで存続していたと推定される。竪穴住居は7世紀中頃~後半が最も多く、次いで8世紀中頃にも一つのピークが認められる。本地点の東側約450mからは、相模国府庁の脇殿と推定される掘立柱建物が検出されており、本遺跡も国府推定域に含まれているが、検出した遺構は竪穴住居址が中心で、遺物も官衙的なものは極めて少ないこtこが指摘できる。中世から近世以降にかけては、道状遺構 ・溝状遺構・土坑・畝状遺構などが発見された。大半の遺構は遺物を伴っておらず、中世以降の遺構群のほとんどは生産地との関連が推測され、畑地などに利用されていたと考えられる。縄文時代の遺構は検出されていないが、中期(勝坂式)の土器と黒曜石の剥片が出土した。

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