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宮山中里遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/70731
引用表記 かながわ考古学財団 2016 『かながわ考古学財団調査報告314:宮山中里遺跡』かながわ考古学財団
かながわ考古学財団 2016 『宮山中里遺跡』かながわ考古学財団調査報告314
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ファイル
書名 宮山中里遺跡
発行(管理)機関 (公財)かながわ考古学財団 - 神奈川県
書名かな みややま なかざと いせき
副書名 一般国道468号(さがみ縦貫道路)建設事業に伴う発掘調査
巻次 2
シリーズ名 かながわ考古学財団調査報告
シリーズ番号 314
編著者名
編集機関
かながわ考古学財団
発行機関
かながわ考古学財団
発行年月日 20160318
作成機関ID
郵便番号 2320033
電話番号 0452528689
住所 神奈川県横浜市南区中村町3-191-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 宮山中里遺跡(Ⅴ区)
遺跡名かな みややまなかざといせき ごく
本内順位
遺跡所在地 神奈川県高座郡寒川町宮山3078-2他
所在地ふりがな かながわけんこうざぐんさむかわまちみややま3078-2ほか
市町村コード 14321
遺跡番号 27
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 352320
東経(世界測地系)度分秒 1392243
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.388888 139.378611
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20100316-20100831
20100401-20101228
20110104-20110412
20110701-20111006
調査面積(㎡)
2227
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
集落
時代
近世(細分不明)
主な遺構
井戸跡3
土坑1
溝状遺構1
畝状遺構1
主な遺物
陶磁器
特記事項
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
掘立柱建物跡1
井戸跡5
土坑7
集石2
土坑墓2
溝状遺構31
畝状遺構1
ピット183
主な遺物
陶磁器
炻器
かわらけ
特記事項
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
竪穴住居跡5
竪穴状遺構5
掘立柱建物跡2
井戸跡4
焼土跡1
土坑31
ピット49
主な遺物
土師器
須恵器
灰釉陶器
瓦塔
特記事項 寺院の可能性のある建物跡付近から瓦塔露盤が出土
種別
古墳
時代
古墳
主な遺構
円墳(周溝)2
主な遺物
須恵器
特記事項
種別
集落
時代
弥生
古墳
主な遺構
畝状遺構1
主な遺物
土器
特記事項 耕作を示唆する畝状遺構が検出
要約  今回の調査の結果、本遺跡は弥生時代後期~古墳時代前期で耕作を示唆する畝状遺構が検出されたことから該期に生産域であった可能性がある。古墳時代後期では古墳(周溝)2基が調査区西側で検出され、当該古墳群が西側に分布する傾向が把握された。奈良・平安時代では四面庇の掘立柱建物とその付近から瓦塔(露盤)が発見されたことにより寺院の存在した可能性がうかがえた他、9世紀後半~11世紀前半の遺物が竪穴住居跡から出土したことから当該集落がその期間存続していたことが明らかとなった。中世~近世では調査区が溝状遺構と畝状遺構に特徴付けられることから該期では主に集落の生産域であったと考えられる。

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