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平安京左京九条三坊九町跡・烏丸町遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/70294
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.70294
引用表記 公益財団法人元興寺文化財研究所 2019 『平安京左京九条三坊九町跡・烏丸町遺跡』公益財団法人元興寺文化財研究所
公益財団法人元興寺文化財研究所 2019 『平安京左京九条三坊九町跡・烏丸町遺跡』
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ファイル
書名 平安京左京九条三坊九町跡・烏丸町遺跡
発行(管理)機関 元興寺文化財研究所 - 奈良県
書名かな へいあんきょうさきょうくじょうさんぼうきゅうちょうあと・からすまちょういせき
副書名
巻次
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
公益財団法人元興寺文化財研究所
発行機関
公益財団法人元興寺文化財研究所
発行年月日 20190331
作成機関ID
郵便番号 6308312
電話番号 0742231376
住所 奈良市中院町11 番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 平安京左京九条三坊九町跡
遺跡名かな へいあんきょう
本内順位
遺跡所在地 京都市南区東九条上殿田町 42 ほか
所在地ふりがな きょうとしみなみくとうくじょうかみとのだちょう
市町村コード 26107
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 345900
東経(世界測地系)度分秒 1354533
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.983333 135.759166
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20170425-20180110
調査面積(㎡)
4300
調査原因 ホテル建設
遺跡概要
種別
宮都
時代
古墳
飛鳥白鳳
奈良
平安
鎌倉
南北朝
室町
戦国
安土桃山
江戸
主な遺構
流路
土坑
井戸
ピット
埋甕遺構
掘立柱建物
主な遺物
土器
陶磁器
輸入陶磁器
石製品
銭貨
動物骨
貝殻
銅合金製指輪
ガラス製水滴
特記事項 指輪は近代の可能性を残す。

遺跡名:平安京左京九条三坊九町跡・烏丸町遺跡
遺跡名かな:へいあんきょうさきょうくじょうさんぼうきゅうちょうあと・からすまちょういせき
要約 平安京左京九条三坊九町において、4 面の遺構面を検出した。調査地周辺の基盤層は古墳時代以前の氾濫堆積物によって形成され、9 世紀中葉の整地によって平坦化される。9 世紀中葉は条坊道路未整備ではあるが、条坊規格に則った土地利用が行われる。10 世紀後半から12 世紀中葉まで空白期があり、12 世紀後半から整地を伴う大規模な土地利用が始まる。この頃の遺物にはガラス製水滴や磁州窯壺、緑釉壺や鉄絵壺など輸入優品とともに多量の東播系須恵器椀・皿が出土する。その後、13 世紀前半に整地が行われ、道路に面して間口を開く町屋景観が成立するが、14 世紀には大規模屋敷地となり、14 世紀中葉の屋敷廃絶と共に耕作地へと転換してゆく。

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