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米山(2)遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/69839
引用表記 青森県埋蔵文化財調査センター 2019 『青森県埋蔵文化財調査報告書603:米山(2)遺跡』青森県教育委員会
青森県埋蔵文化財調査センター 2019 『米山(2)遺跡』青森県埋蔵文化財調査報告書603
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ファイル
書名 米山(2)遺跡
発行(管理)機関 青森県埋蔵文化財調査センター - 青森県
書名かな よねやまかっこにいせき
副書名 新青森県総合運動公園整備事業に伴う遺跡発掘調査報告
巻次 7
シリーズ名 青森県埋蔵文化財調査報告書
シリーズ番号 603
編著者名
編集機関
青森県埋蔵文化財調査センター
発行機関
青森県教育委員会
発行年月日 20190322
作成機関ID 022012
郵便番号 0380042
電話番号 0177885701
住所 青森県青森市新城字天田内152-15
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 米山(2)遺跡
遺跡名かな よねやま(2)いせき
本内順位
遺跡所在地 青森県青森市大字宮田字米山地内
所在地ふりがな あおもりけんあおもりしおおあざみやたあざよねやまちない
市町村コード 02201
遺跡番号 201276
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 405026
東経(世界測地系)度分秒 1405050
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 40.840555 140.847222
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20160426-20161025
20170420-20171025
調査面積(㎡)
19000
9300
調査原因 総合運動公園公園整備事業に伴う記録保存調査
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
土坑129
不明遺構5
焼土遺構2
土器埋設遺構1
竪穴建物跡8
堀立柱建物跡17
流路跡3
柱穴1983
主な遺物
縄文土器(早期~晩期)
土製品(土偶・スタンプ形土製品ほか)
石器(石鏃・スクレイパー類・磨石・敲石・石皿・磨製石斧ほか)
石製品(石棒・石刀類、軽石製品ほか)
特記事項 遺跡名かな:よねやまかっこにいせき
種別
散布地
時代
弥生
主な遺構
主な遺物
弥生土器
特記事項
要約  米山(2)遺跡は青森平野の東端、東岳西麓に所在し、付近一帯には丘陵・山稜が広がる。本書を含め9次の調査(約75,000㎡)と7冊の報告書刊行が実施され、縄文・弥生(続縄文)・平安時代、中・近世の遺構・遺物が発見されている。
 今回の報告は、扇状地および扇状地性低湿地上、標高30~40m程の緩斜面で発見された縄文時代早期中葉(貝殻・沈線文土器段階主体)と後期中葉~後葉(中屋敷段階主体)の集落跡が中心となる。早期中葉の集落は径20m程と小規模だが、本県津軽地方では質量共に最も明確な事例といえ、竪穴建物の可能性がある不明遺構(SX)と土坑が近接する。白浜式期を主体に新旧2時期想定されるが、時間差は少なく、最終的には土器片や石器が散在する状況で廃絶した様子を示す。他方、後期後葉の集落は、中心に環状掘立柱建物群、周縁に竪穴建物・土坑群・粘土採掘場・遺物集積場(流路内捨場・廃棄帯)が配置される同心円構造だったと考えられる。掘立柱建物の平面形状は六角形(亀甲形)であり、各々が長軸方向に連なることにより短径65m程度、長径75m程度の環状掘立柱建物群を形成した模様である。その内外縁には竪穴建物や土坑が、やや離れたところには粘土採掘場や遺物集積場が位置する。これら全てを含む集落規模は、北東-南西方向で100m前後、北西-南東方向で80~120m以上と予測される。後世の破壊・削平が著しい上、未調査となっている西側調査区の状況次第では、規模・内容に再検討の余地があるものの、本県では隣接する上野尻遺跡や八戸市風張(1)遺跡とならんで該期を代表する集落の一つとなる。

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