並松町遺跡
URL | https://sitereports.nabunken.go.jp/65617 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
DOI 二次元コード |
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
DOI | http://doi.org/10.24484/sitereports.65617 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
引用表記 | 公益財団法人大阪府文化財センター 2012 『公益財団法人大阪府文化財センター調査報告書231:並松町遺跡』公益財団法人大阪府文化財センター | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公益財団法人大阪府文化財センター 2012 『並松町遺跡』公益財団法人大阪府文化財センター調査報告書231 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
wikipedia 出典テンプレート :
{{Cite book ... 開く
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファイル |
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
書名 | 並松町遺跡 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発行(管理)機関 | 大阪府文化財センター - 大阪府 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
有償頒布・配布ページ | https://www.occh.or.jp/?s=book ※ 有償頒布・配布していない場合もあります |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
書名かな | なみまつちょう いせき | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
副書名 | 大阪府道高速大和川線建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
巻次 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ名 | 公益財団法人大阪府文化財センター調査報告書 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ番号 | 231 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編著者名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編集機関 |
公益財団法人大阪府文化財センター
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発行機関 |
公益財団法人大阪府文化財センター
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発行年月日 | 20120900 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
作成機関ID | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
郵便番号 | 5900105 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
電話番号 | 0722998791 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
住所 | 大阪府堺市南区竹城台3丁21番4号 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
資料タイプ | Research Paper | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発掘調査報告 | 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所蔵大学(NCID) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
JP番号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
他の電子リソース |
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
備考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収論文 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収遺跡 |
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
要約 | 紀州街道の本体に初めて考古学的調査のメスが入った調査である。古代や中世にも熊野参詣により、利用されていた熊野街道に関連するものとの期待があったが、調査の結果、この地に街道が通るのは、近世後半(18世紀)以降であることが判明した。これ以前は、住吉大社と堺環濠都市を結ぶ道は、調査区以外の場所を通っていたことになる。 遺構面の下には、約1mの厚さをもつ均質な細砂層が堆積しており、砂堆上に立地していることがわかる。遺物はほとんど出土しなかったが、細砂層の下から検出された黒色粘土層が、放射性炭素年代測定により、弥生~古墳時代という結果が出た。現在では考えにくいが、調査地一帯が、近世初頭にいたるまで、人跡未踏の地であったことが推測される。 街道の西側(海側)では、大規模な洪水の痕跡がみられ、遺構はほとんど残存していない。安政大地震などによる津波の影響が考えられ、紀州街道の西側には大きな被害が出ていたことが推測される。 街道の東側では、津波の影響はほとんどなかったものと考えられ、遺構・遺物が多く検出された。後世の聖地などで、遺構の細かい時期はわからなかったが、18世紀後半以降に存続していたものといえる。近世から現代まで存続していたものも多く、井戸などは多くの廃棄物によって埋められていた。 |