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古屋敷遺跡(D区)

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/49515
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.49515
引用表記 島根県教育庁埋蔵文化財調査センター 2019 『一般国道9号(􀩩間仁摩道路)改築工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書2:古屋敷遺跡(D区)』国土交通省中国地方整備局松江国道事務所・島根県教育委員会
島根県教育庁埋蔵文化財調査センター 2019 『古屋敷遺跡(D区)』一般国道9号(􀩩間仁摩道路)改築工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書2
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書名 古屋敷遺跡(D区)
発行(管理)機関 島根県教育庁 - 島根県
有償頒布・配布ページ https://www.pref.shimane.lg.jp/life/bunka/bunkazai/kyokai/syuppannbutu.html
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな ふるやしきいせきDく
副書名
巻次
シリーズ名 一般国道9号(􀩩間仁摩道路)改築工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
シリーズ番号 2
編著者名
編集機関
島根県教育庁埋蔵文化財調査センター
発行機関
国土交通省中国地方整備局松江国道事務所・島根県教育委員会
発行年月日 20190316
作成機関ID
郵便番号 6900131
電話番号 0852368608
住所 島根県松􀟐市打出町33 番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 古屋敷遺跡D区
遺跡名かな ふるやしきいせき
本内順位
遺跡所在地 島根県大田市仁摩町大国
所在地ふりがな しまねけんおおだしにまちょうおおぐに
市町村コード 32205
遺跡番号 B61
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 350836
東経(世界測地系)度分秒 1322456
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.143333 132.415555
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20140509-20150131
調査面積(㎡)
1800
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
弥生
主な遺構
木棺墓
配石遺構
水さらし場遺構
地床炉
袋状土坑
主な遺物
弥生土器
縄文土器
石器
土製品
木棺部材
石製品
特記事項  各部材が良好に残る縄文時代晩期の木棺墓、西日本ではめずらしい水さらし場遺構などを検出。
前年度調査に続いて、彩文土器が出土。

遺跡名かな:ふるやしきいせきDく
要約  古屋敷遺跡は大田市仁摩町大国の沖積平野東端に位置する、縄文後期から弥生前期の遺跡。このうち、D 区の調査では、弥生前期の人工的な水路・縄文晩期に遡る木棺墓、西日本では検出例の少ない水さらし場遺構、非常に多くの地床炉や柱穴とともに、土器・石器を􀢝め、呪術具など様々な遺物が出土した。
 縄文・弥生時代には遺跡近くまで海水面が入り込んでいたと考えられ、海を介し、多くの文化の交流があったと考えられ、縄文から弥生時代へ推移していく状況を考える上で、貴重な資料を得た。

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