URL |
https://sitereports.nabunken.go.jp/48275
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引用表記 |
早稲田大学文化財整理室 2000 『下柳沢遺跡』早稲田大学
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早稲田大学文化財整理室 2000 『下柳沢遺跡』
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wikipedia 出典テンプレート :
{{Cite book|和書|first=徹夫|last=菊池|first2=貴司|last2=小川|first3=完|last3=松本|first4=直美|last4=亀田|first5=陽|last5=上杉|first6=久|last6=藤根|first7=衣穂子|last7=武藤|first8=貞克|last8=国武|first9=豊弘|last9=西本|first10=正春|last10=永嶋|first11=礼子|last11=松葉|title=下柳沢遺跡|origdate=2000-03-15|date=2000-03-15|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/48275|location=東京都保谷市東伏見2丁目7-5|ncid=BA47288879}}
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ファイル |
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書名 |
下柳沢遺跡 |
発行(管理)機関 |
早稲田大学
- 東京都
|
書名かな |
しもやぎさわいせき |
副書名 |
早稲田大学東伏見校地における統合合宿所・総合体育館建設に伴う調査 |
巻次 |
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シリーズ名 |
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シリーズ番号 |
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編著者名 |
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編集機関 |
早稲田大学文化財整理室
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発行機関 |
早稲田大学
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発行年月日 |
20000315 |
作成機関ID |
|
郵便番号 |
202-0021 |
電話番号 |
0424-68-2433 |
住所 |
東京都保谷市東伏見2丁目7-5 |
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
|
資料タイプ |
Research Paper |
発掘調査報告 |
掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) |
所蔵大学(NCID) |
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JP番号 |
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他の電子リソース |
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備考 |
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所収論文 |
タイトル |
下柳沢遺跡と石神井川流域の板碑 |
英語タイトル |
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著者 |
小川 貴司
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ページ範囲 |
679 - 700
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NAID |
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都道府県 |
東京都
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時代 |
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文化財種別 |
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遺跡種別 |
祭祀
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遺物(材質分類) |
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学問種別 |
考古学
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テーマ |
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=貴司|last=小川|contribution=下柳沢遺跡と石神井川流域の板碑|title=下柳沢遺跡|date=2000-03-15|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/48275|location=東京都保谷市東伏見2丁目7-5|ncid=BA47288879}}
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抄録(内容要約) |
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所収遺跡 |
遺跡名 |
下柳沢遺跡 第3次 |
遺跡名かな |
しもやぎさわいせき |
本内順位 |
1 |
遺跡所在地 |
東京都保谷市東伏見3丁目4 |
所在地ふりがな |
とうきょうとほうやしひがしふしみさんちょうめ |
市町村コード |
13217 |
遺跡番号 |
保谷市11 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
354324 |
東経(日本測地系)度分秒 |
1393401 |
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
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経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.7266 139.5637
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
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調査期間 |
19911115-19920714
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調査面積(㎡) |
4400
|
調査原因 |
合宿所・体育館建設 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
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時代 |
旧石器
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主な遺構 |
石器集中19
礫群18
|
主な遺物 |
尖頭器
ナイフ形石器
角錐状石器
スクレイパー
彫器
細部調整のある剥片
微細な剥離痕のある剥片
石刃
剥片
砕片
調整剥片
石核
敲石
焼礫
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特記事項 |
旧石器では、武蔵野3層から5層にかけて3枚の文化層を有する。石器群の主体は「武蔵野4下層から5層」であり、良好な石器群である。縄文では、早期の炉穴が石神井川の北岸の下柳沢遺跡にも分布するのが確認できたと共に、炉穴が密集する対岸の下野谷遺跡との差異もはっきりした。また、この時代の旧河道が検出され、石神井川の流路の変化の良い資料となった。中世では、関東屈指の地下式壙群が検出され、板碑と共に地域史を大きく塗り替えることとなった。近世では、大規模な土地造成が行われ、水田や畑が作られたことが判明した。下柳沢遺跡は、台地から谷にかけての異なった地域環境に立地する遺跡であり、このような地形変遷やその要因を考える際の模式的な遺跡として位置付けられる。 |
種別 |
集落
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時代 |
縄文
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主な遺構 |
炉穴5(早期)
土坑6
河川1
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主な遺物 |
縄文土器(早期+前期+中期+後期)
尖頭器
打製石斧
石皿
敲石
凹石
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特記事項 |
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種別 |
散布地
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時代 |
古代(細分不明)
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主な遺構 |
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主な遺物 |
土師器
灰釉陶器
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特記事項 |
種別:包含地 |
種別 |
集落
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時代 |
中世(細分不明)
近世(細分不明)
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主な遺構 |
地下式壙42
井戸23
土坑70
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主な遺物 |
かわらけ
瓦器
緑釉陶器
陶磁器
瓦
金属製品
貨幣
板碑100
茶臼
穀物臼
砥石
転用砥石
石製品
木製品
漆製品
炭化物
動物遺存体(ウマ(歯+骨))
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特記事項 |
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種別 |
集落
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時代 |
近世(細分不明)
近代(細分不明)
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主な遺構 |
溝12
道路4
揚水車1
造成面2
ピット群
水田3
畑2
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主な遺物 |
磁器
瓦器
瓦
金属器
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特記事項 |
主な時代:近世以降 |
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要約 |
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