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弓町遺跡第10地点

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/47996
引用表記 大成エンジニアリング株式会社埋蔵文化財調査部門 2013 『B-122:弓町遺跡第10地点』野村不動産株式会社
大成エンジニアリング株式会社埋蔵文化財調査部門 2013 『弓町遺跡第10地点』B-122
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ファイル
書名 弓町遺跡第10地点
発行(管理)機関 文京区 - 東京都
書名かな だい10ちてん
副書名 集合住宅建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号 B-122
編著者名
編集機関
大成エンジニアリング株式会社埋蔵文化財調査部門
発行機関
野村不動産株式会社
発行年月日 20130630
作成機関ID
郵便番号 162-0045
電話番号 03-5285-3155
住所 東京都新宿区馬場下町1-1早稲田SIAビル8F
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 弓町遺跡
遺跡名かな ゆみちょういせき
本内順位 1
遺跡所在地 東京都文京区本郷1丁目31-1内
所在地ふりがな とうきょうとぶんきょうくほんごういっちょうめ
市町村コード 13105
遺跡番号 33
北緯(日本測地系)度分秒 354221
東経(日本測地系)度分秒 1394522
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.7091 139.7529
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20120420-20130630
調査面積(㎡)
350
調査原因 集合住宅建設
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
竪穴建物2
陥穴1
土坑1
小穴10
主な遺物
縄文土器475
石器56
礫400
特記事項 中期前半の勝坂1・2式、阿玉台1b~Ⅱ式期に比定される竪穴住居址を2軒検出。
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
竪穴建物1
ピット50
主な遺物
土師器124
須恵器25
須恵系土師質土器6
灰釉陶器1
土製品14
特記事項 8世紀後半に比定される竪穴住居址を1軒検出。奈良・平安時代の小穴から「南無」と内側に墨書された須恵系土師質土器の皿が出土。
種別
集落
時代
江戸
主な遺構
地下室16
土坑119
井戸7
溝址7
建物跡3
柱列址2
礎石5
桶1
植栽痕4
小穴235
主な遺物
磁器4,185
陶器11,668
炻器475
土器5,209
瓦11,891
土製品168
金属製品895
木製品117
骨角製品3
石製品117
自然遺物5,041
土類317
特記事項 屋敷地
弓組大繩地及び旗本水野家、内藤家の時期に属する遺構を多数検出。
水野期では、肥前産京焼風陶器の良品や元文六(1741)年と書かれていたと推察される「暦文碗」が出土。
内藤期では、ごみ穴から多量の高田徳利が出土。完形のものも目立つ。中には高崎屋の通い徳利も1点出土。
種別
集落
時代
明治
主な遺構
土坑4
井戸2
溝址1
小穴47
主な遺物
ガラス製品69
近代その他31
特記事項 時代 : 明治以降
要約  弓町遺跡の第10地点である。本調査では、縄文時代、奈良・平安時代、江戸時代、明治時代の遺物・遺構が検出された。
 縄文時代では、弓町遺跡で初例となる中期前葉の勝坂1・2式、阿玉台1b~Ⅱ式期に比定される竪穴住居址が2軒検出された。それにより、縄文時代中期前葉頃には当該地に集落が形成されていたことが判明した。
 奈良・平安時代では、8世紀後半の竪穴住居址が1軒検出された。また、小穴から内面に「南無」と思われる墨書が施された10世紀代の須恵系土師質土器の皿が出土した。墨書土器の出土は、周辺遺跡を含めて4例目となる。
 江戸時代では、17世紀から19世紀代の遺構・遺物が多数検出された。当該地は、17世紀中葉頃、御先手組(弓組)大繩地に始まり、宝永元(1704)年に旗本水野式部忠恒(禄高5,000石)の拝領屋敷となる。その後、文政9(1826)年、屋敷地2,000坪を旗本内藤外記熊吉(禄高5,700石)の本所南割残下水下屋敷1,800坪と相対替になり、明治時代に至るまで内藤家屋敷として継続する。本調査区は、屋敷敷地内の南東隅に位置し、使用人等の居住空間に当たると思われる。そのため、長屋と考えられる建物跡の一部やそれに付随する地下室・土坑等が多数検出された。

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