URL |
https://sitereports.nabunken.go.jp/31585
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引用表記 |
公益財団法人松山市文化・スポーツ振興財団埋蔵文化財センター 2013 『松山市文化財調査報告書167:古川遺跡1次・2次・3次・5次・6次・7次調査』松山市
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公益財団法人松山市文化・スポーツ振興財団埋蔵文化財センター 2013 『古川遺跡1次・2次・3次・5次・6次・7次調査』松山市文化財調査報告書167
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wikipedia 出典テンプレート :
{{Cite book|和書|first=慎一|last=宮内|first2=秀仁|last2=相原|first3=完児|last3=水本|title=古川遺跡1次・2次・3次・5次・6次・7次調査|origdate=2013-03-15|date=2013-03-15|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/31585|location=愛媛県松山市南斉院町乙67番地6|ncid=BB12095683|ncid=AN00153778|series=松山市文化財調査報告書|volume=167}}
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ファイル |
|
書名 |
古川遺跡1次・2次・3次・5次・6次・7次調査 |
発行(管理)機関 |
松山市
- 愛媛県
|
書名かな |
ふるかわいせき1じ・2じ・3じ・5じ・6じ・7じちょうさ |
副書名 |
都市計画道路北久米和泉線(2工区)整備に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 |
巻次 |
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シリーズ名 |
松山市文化財調査報告書 |
シリーズ番号 |
167 |
編著者名 |
|
編集機関 |
公益財団法人松山市文化・スポーツ振興財団埋蔵文化財センター
|
発行機関 |
松山市
|
発行年月日 |
20130315 |
作成機関ID |
|
郵便番号 |
791-8032 |
電話番号 |
089-923-6363 |
住所 |
愛媛県松山市南斉院町乙67番地6 |
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
|
資料タイプ |
Research Paper |
発掘調査報告 |
掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) |
所蔵大学(NCID) |
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JP番号 |
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他の電子リソース |
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備考 |
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所収論文 |
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所収遺跡 |
遺跡名 |
古川遺跡1次調査 |
遺跡名かな |
ふるかわいせき1じちょうさ |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
愛媛県松山市古川北二丁目 |
所在地ふりがな |
えひめけんまつやましふるかわきた2ちょうめ |
市町村コード |
38201 |
遺跡番号 |
|
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
|
調査期間 |
20060703-20060929
|
調査面積(㎡) |
307.28
|
調査原因 |
道路整備 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
弥生
|
主な遺構 |
溝
土坑
|
主な遺物 |
弥生土器
石斧
砥石
|
特記事項 |
周溝墓に伴う可能性が高い溝を検出。 |
種別 |
集落
|
時代 |
弥生
古墳
|
主な遺構 |
溝
土坑
土器棺
|
主な遺物 |
弥生土器
土師器
石器
|
特記事項 |
なし。 |
種別 |
集落
|
時代 |
古墳
|
主な遺構 |
溝
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
|
特記事項 |
集落を区画していた可能性の高い溝を検出。溝より緑釉陶器、土坑より黒色土器が出土。 |
種別 |
集落
|
時代 |
平安
|
主な遺構 |
溝
土坑
|
主な遺物 |
弥生土器
土師器
須恵器
緑釉陶器
土師器杯
土師皿
土師器内黒椀
砥石
台石
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
不明
|
時代 |
不明
|
主な遺構 |
柱穴
|
主な遺物 |
|
特記事項 |
|
|
遺跡名 |
古川遺跡2次調査 |
遺跡名かな |
ふるかわいせき2じちょうさ |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
愛媛県松山市古川北二丁目 |
所在地ふりがな |
えひめけんまつやましふるかわきた2ちょうめ |
市町村コード |
38201 |
遺跡番号 |
|
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
|
調査期間 |
20061215-20070214
|
調査面積(㎡) |
202.43
|
調査原因 |
道路整備 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
弥生
|
主な遺構 |
溝
土坑
|
主な遺物 |
弥生土器
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
弥生
古墳
中世(細分不明)
|
主な遺構 |
溝
|
主な遺物 |
弥生土器
土師器
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
鎌倉
|
主な遺構 |
掘立柱建物
|
主な遺物 |
土師器杯
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
不明
|
時代 |
不明
|
主な遺構 |
柱穴
|
主な遺物 |
|
特記事項 |
|
|
遺跡名 |
古川遺跡3次調査 |
遺跡名かな |
ふるかわいせき3じちょうさ |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
愛媛県松山市古川北二丁目 |
所在地ふりがな |
えひめけんまつやましふるかわきた2ちょうめ |
市町村コード |
38201 |
遺跡番号 |
|
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
|
調査期間 |
20061215-20061227
|
調査面積(㎡) |
55.00
|
調査原因 |
道路整備 |
遺跡概要 |
種別 |
散布地
|
時代 |
弥生
|
主な遺構 |
自然流路
|
主な遺物 |
弥生土器
木
種子
炭化物
|
特記事項 |
弥生時代末以前の自然流路。 |
|
遺跡名 |
古川遺跡5次調査 |
遺跡名かな |
ふるかわいせき5じちょうさ |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
愛媛県松山市古川北二丁目 |
所在地ふりがな |
えひめけんまつやましふるかわきた2ちょうめ |
市町村コード |
38201 |
遺跡番号 |
|
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
|
調査期間 |
20090601-20090819
|
調査面積(㎡) |
606.60
|
調査原因 |
道路整備 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
墓
|
時代 |
弥生
古墳
|
主な遺構 |
周溝墓
溝
土坑
|
主な遺物 |
土師器
石庖丁
骨
|
特記事項 |
弥生時代末〜古墳時代初頭の円形周溝墓。 |
種別 |
集落
|
時代 |
古代(細分不明)
|
主な遺構 |
掘立柱建物
|
主な遺物 |
土師器
|
特記事項 |
平安時代の遺物包含層に覆われる。 |
種別 |
集落
|
時代 |
江戸
|
主な遺構 |
溝
土坑
|
主な遺物 |
土師器
陶磁器
|
特記事項 |
なし。 |
種別 |
|
時代 |
不明
|
主な遺構 |
柱穴
|
主な遺物 |
弥生土器
土師器杯
須恵器
|
特記事項 |
|
|
遺跡名 |
古川遺跡7次調査 |
遺跡名かな |
ふるかわいせき7じちょうさ |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
愛媛県松山市古川北二丁目 |
所在地ふりがな |
えひめけんまつやましふるかわきた2ちょうめ |
市町村コード |
38201 |
遺跡番号 |
|
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
|
調査期間 |
20100604-20100630
|
調査面積(㎡) |
168.00
|
調査原因 |
道路整備 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
古墳
|
時代 |
弥生
古墳
|
主な遺構 |
溝
|
主な遺物 |
土師器
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
江戸
|
主な遺構 |
土坑
|
主な遺物 |
弥生土器
土師器
須恵器
陶磁器
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
不明
|
時代 |
不明
|
主な遺構 |
柱穴
|
主な遺物 |
|
特記事項 |
|
|
遺跡名 |
古川遺跡6次調査 |
遺跡名かな |
ふるかわいせき6じちょうさ |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
愛媛県松山市古川北二丁目 |
所在地ふりがな |
えひめけんまつやましふるかわきた2ちょうめ |
市町村コード |
38201 |
遺跡番号 |
|
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
|
調査期間 |
20100316-20100630
|
調査面積(㎡) |
370.54
|
調査原因 |
道路整備 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
古墳
|
時代 |
弥生
古墳
|
主な遺構 |
溝
|
主な遺物 |
弥生土器
石器
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
古墳
|
主な遺構 |
溝
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
江戸
|
主な遺構 |
溝
土坑
|
主な遺物 |
磁器
陶器
土師器
|
特記事項 |
|
種別 |
集落
|
時代 |
不明
|
主な遺構 |
柱穴
|
主な遺物 |
|
特記事項 |
|
|
|
要約 |
[古川遺跡1次調査 要約] 弥生時代末〜古墳時代初頭の円形周溝墓である可能性が高い、円形状に巡る溝を2条確認した。平安時代後期では緑釉陶器を出土し、集落を区画していた可能性のある溝を確認した。 [古川遺跡2次調査 要約] 弥生時代前期の溝及びそれと重なる形で弥生時代前期末〜古墳時代初頭の壕状の溝を確認した。また、13世紀代の掘立柱建物を1棟確認しているほか、包含層内からは近世の陶磁器が出土している。 [古川遺跡3次調査 要約] 調査地全体において、弥生時代末以前の自然流路を検出し、流路の内部より弥生土器等が出土した。 [古川遺跡5次調査 要約] 2基の土坑を主体部に持つ円形周溝墓を1基検出した。内径6〜7mを測り、溝の内部からは弥生時代末〜古墳時代初頭に属する完形の土器が出土している。また、平安時代以前の掘立柱建物や近世後期の遺構を確認している。調査地の北側に隣接する古川遺跡1次調査でも同様に周溝墓状の遺構を確認しており、また調査地東方には弥生時代末から古墳時代前期の大規模集落である石井集落が展開していることから、同地区の首長あるいは権力者の墓ではないかと推測される。 [古川遺跡7次調査 要約] 弥生時代末〜古墳時代初頭の方形周溝墓の可能性が考えられる溝を確認している。 [古川遺跡6次調査 要約] 方形状に巡る弥生時代末の溝を検出した。調査地の東側に隣接する古川遺跡5次調査において、弥生時代末から古墳時代初頭の円形周溝墓を1基確認しており、周溝墓に伴う溝である可能性がある。
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