奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41245 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132428 件
( 前年度比 + 1743 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147554 件
( 前年度比 + 2114 件 )
現在の文化財論文件数
120575 件
( 前年度比 + 1580 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

沼南町北ノ作1・2号墳発掘調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/31441
引用表記 千葉県文化財センター 1993 『千葉県文化財センター調査報告240:沼南町北ノ作1・2号墳発掘調査報告書』千葉県文化財センター
千葉県文化財センター 1993 『沼南町北ノ作1・2号墳発掘調査報告書』千葉県文化財センター調査報告240
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=道行|last=糸川|title=沼南町北ノ作1・2号墳発掘調査報告書|origdate=1993-03-31|date=1993-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/31441|location=千葉県四街道市鹿渡809-2|ncid=AN10472080|ncid=BN11116895|series=千葉県文化財センター調査報告|volume=240}} 閉じる
ファイル
書名 沼南町北ノ作1・2号墳発掘調査報告書
発行(管理)機関 (公財)千葉県教育振興財団文化財センター - 千葉県
書名かな しょうなんまちきたのさく1・2ごうふんはっくつちょうさほうこくしょ
副書名
巻次
シリーズ名 千葉県文化財センター調査報告
シリーズ番号 240
編著者名
編集機関
千葉県文化財センター
発行機関
千葉県文化財センター
発行年月日 19930331
作成機関ID
郵便番号 284-0003
電話番号 043-422-8811
住所 千葉県四街道市鹿渡809-2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 北ノ作1・2号墳
遺跡名かな きたのさく1・2ごうふん
本内順位
遺跡所在地 千葉県東葛飾郡沼南町片山1161ほか
所在地ふりがな ちばけんひがしかつしかぐんしょうなんまちかたやま1161ほか
市町村コード 12305
遺跡番号 6
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 355043.24
東経(世界測地系)度分秒 1400345.11
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.845344 140.06253
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19921001-19921030
調査面積(㎡)
200
調査原因 学術調査
遺跡概要
種別
古墳
時代
古墳
主な遺構
古墳2
竪穴住居跡9
溝1
主な遺物
土師器(器台
高坏
小型壺
甕)
鉄鏃
土製品
特記事項 '"北ノ作1号墳の墳形は突出部付き方墳,2号墳は前方後方墳と判明し,出現期・前期古墳の研究上重要な成果を提供した。"'
要約 [北ノ作1・2号墳 要約]
北ノ作1・2号墳は千葉県内の代表的な出現期・前期古墳の一つである。手賀沼南岸の台地先端で、標高約20mのところに立地する。1号墳は台地先端、2号墳は1号墳のすぐ南側に一する。調査の結果、1号墳の墳形は前方部が短い未発達なタイプの前方後方墳で、規模は全長21.5m、後方部の1辺が15m〜16m×18mである。後方部の高さは3mであるが、前方部の盛土はみられず、あってもごく薄いものであろう。このような前方部の未発達な墳形は出現期古墳に多い。1959年に墳頂部が調査され、粘土・木炭使用の埋葬施設(類粘土槨)、鉄刀1・鉄剣1・鉄鏃3・銅鏃1・鉄斧2・鉄製鉇(やりがんな)1などの副葬品が出土した。また埋葬施設上には焼土が厚く堆積し、その上下から小型鉢・器台・高杯・小型壺・大型壺等の土師器が出土した。小型壺等は今回の調査でも前方部周溝から出土した。土器群の多くは赤色塗彩されており、底部穿孔のものもある。葬祭用に作られた特別な器であり、土器を使用し、火を焚いたマツリが行われた。古墳築造の歴年代は3世紀後葉から4世紀前葉である。北ノ作古墳群の近くには前代に方形周溝墓が造られた石揚(いしあげ)遺跡がある。北ノ作の地域集団は前時期からの地盤に加え、西方からの文化の波及にすばやく反応して、古墳時代的な体制に参入したと考えられる。 2号墳は調査の結果、墳形は前方後方墳で、規模は全長が33.5m、後方部の長さが19.5m、前方部の長さが14mと判明した。1号墳と比べて、より前方部が発達した定型的な墳形である。1960年に墳頂部が調査され、後方部墳頂から長軸に直交する2基の粘土槨が見つかった。南槨・北槨ともに石製管玉が出土したが、副葬品は多くが失われている。前方部から出土した鉄鏃はその一部である。今回の調査では完形の土師器壺が前方部側周溝底面近くから出土した。その他にも土器が出土したが、墳丘下や周囲に存在する2号墳よりも古い竪穴住居のものが多い。2号墳は1号墳よりも前方部が発達しているので、1号墳に続く古墳と考えられ、築造の歴年代は4世紀前葉である。2号墳に後続する首長墓は北ノ作の地にはなく、手賀沼流域を代表する首長墓はこの後、我孫子市水神山古墳の登場により、手賀沼北岸地域にとって代わられる。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 261
ファイルダウンロード数 : 0

全国のイベント

外部出力