URL |
https://sitereports.nabunken.go.jp/31192
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引用表記 |
千葉県文化財センター 1996 『千葉県文化財センター調査報告276:流山市南割遺跡・上貝塚第2遺跡・上貝塚第1遺跡・上貝塚貝塚・下花輪第3遺跡・三輪野山第2遺跡』千葉県文化財センター
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千葉県文化財センター 1996 『流山市南割遺跡・上貝塚第2遺跡・上貝塚第1遺跡・上貝塚貝塚・下花輪第3遺跡・三輪野山第2遺跡』千葉県文化財センター調査報告276
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wikipedia 出典テンプレート :
{{Cite book|和書|first=光広|last=岡田|first2=道行|last2=糸川|first3=章雄|last3=落合|title=流山市南割遺跡・上貝塚第2遺跡・上貝塚第1遺跡・上貝塚貝塚・下花輪第3遺跡・三輪野山第2遺跡|origdate=1996-03-29|date=1996-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/31192|location=千葉県四街道市鹿渡809-2|ncid=AN10472080|ncid=BN1576104X|series=千葉県文化財センター調査報告|volume=276}}
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ファイル |
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書名 |
流山市南割遺跡・上貝塚第2遺跡・上貝塚第1遺跡・上貝塚貝塚・下花輪第3遺跡・三輪野山第2遺跡 |
発行(管理)機関 |
(公財)千葉県教育振興財団文化財センター
- 千葉県
|
書名かな |
ながれやましみなみわりいせき・かみかいづかだい2いせき・かみかいづかだい1いせき・かみかいずかかいずか・しもはなわだい3いせき・みわのやまだい2いせき |
副書名 |
主要地方道松戸野田線埋蔵文化財調査報告書 |
巻次 |
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シリーズ名 |
千葉県文化財センター調査報告 |
シリーズ番号 |
276 |
編著者名 |
|
編集機関 |
千葉県文化財センター
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発行機関 |
千葉県文化財センター
|
発行年月日 |
19960329 |
作成機関ID |
|
郵便番号 |
284-0003 |
電話番号 |
043-422-8811 |
住所 |
千葉県四街道市鹿渡809-2 |
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
|
資料タイプ |
Research Paper |
発掘調査報告 |
掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) |
所蔵大学(NCID) |
|
JP番号 |
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他の電子リソース |
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備考 |
|
所収論文 |
タイトル |
三輪野山第II遺跡出土の異系統土器 |
英語タイトル |
|
著者 |
糸川 道行
|
ページ範囲 |
495 - 499
|
NAID |
|
都道府県 |
千葉県
|
時代 |
|
文化財種別 |
|
史跡・遺跡種別 |
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遺物(材質分類) |
土器
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学問種別 |
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テーマ |
編年
文化系統
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=道行|last=糸川|contribution=三輪野山第II遺跡出土の異系統土器|title=流山市南割遺跡・上貝塚第2遺跡・上貝塚第1遺跡・上貝塚貝塚・下花輪第3遺跡・三輪野山第2遺跡|date=1996-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/31192|location=千葉県四街道市鹿渡809-2|ncid=AN10472080|ncid=BN1576104X|series=千葉県文化財センター調査報告|volume=276}}
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抄録(内容要約) |
|
|
所収遺跡 |
遺跡名 |
南割遺跡 |
遺跡名かな |
みなみわりいせき |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
千葉県流山市南186-1 |
所在地ふりがな |
ちばけんながれやましみなみ186-1 |
市町村コード |
12220 |
遺跡番号 |
15 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
355305 |
東経(日本測地系)度分秒 |
1395407 |
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
|
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.8879 139.8987
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19910603-19910627
|
調査面積(㎡) |
600
|
調査原因 |
道路改良事業に伴う埋蔵文化財調査 |
遺跡概要 |
種別 |
散布地
|
時代 |
旧石器
|
主な遺構 |
遺物出土地点1
|
主な遺物 |
ナイフ形石器
|
特記事項 |
種別:包蔵地 |
種別 |
|
時代 |
近世(細分不明)
|
主な遺構 |
|
主な遺物 |
陶磁器
|
特記事項 |
|
|
遺跡名 |
上貝塚第2遺跡 |
遺跡名かな |
かみかいづかだい2いせき |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
千葉県流山市桐ヶ谷字南割10-1 |
所在地ふりがな |
ちばけんながれやましきりがやあざみなみわり10-1 |
市町村コード |
12220 |
遺跡番号 |
9 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
355252 |
東経(日本測地系)度分秒 |
1395410 |
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
|
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.8843 139.8995
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19890410-19890531
19890911-19891005
|
調査面積(㎡) |
1000
|
調査原因 |
道路改良事業に伴う埋蔵文化財調査 |
遺跡概要 |
種別 |
散布地
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
土坑2
|
主な遺物 |
縄文土器(早・前・後・晩)
|
特記事項 |
古墳時代後期の集落は6世紀前葉から中葉を主体とする。
種別:包蔵地 |
種別 |
集落
|
時代 |
古墳
|
主な遺構 |
竪穴住居8
|
主な遺物 |
土師器
|
特記事項 |
種別:古墳後期 |
|
遺跡名 |
上貝塚第1遺跡 |
遺跡名かな |
かみかいづかだい1いせき |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
千葉県流山市谷字台谷津10-1 |
所在地ふりがな |
ちばけんながれやましたにあざだいやつ10-1 |
市町村コード |
12220 |
遺跡番号 |
10 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
355248 |
東経(日本測地系)度分秒 |
1395414 |
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
|
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.8832 139.9007
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19891009-19891108
|
調査面積(㎡) |
900
|
調査原因 |
道路改良事業に伴う埋蔵文化財調査 |
遺跡概要 |
種別 |
墓
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
土壙墓26
土坑1
溝状遺構3
|
主な遺物 |
人骨
古銭
かわらけ
|
特記事項 |
中・近世の密集した土壙墓群を発見。多量の渡来銭が出土。 |
種別 |
散布地
|
時代 |
|
主な遺構 |
|
主な遺物 |
|
特記事項 |
種別:包蔵地 |
|
遺跡名 |
上貝塚貝塚 |
遺跡名かな |
かみかいづかかいづか |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
千葉県流山市上貝塚字稲荷内7-1 |
所在地ふりがな |
ちばけんながれやましかみかいづかあざいなりうち7-1 |
市町村コード |
12220 |
遺跡番号 |
11 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
355241 |
東経(日本測地系)度分秒 |
1395418 |
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
|
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.8813 139.9018
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19890626-19891020
|
調査面積(㎡) |
3900
|
調査原因 |
道路改良事業に伴う埋蔵文化財調査 |
遺跡概要 |
種別 |
散布地
|
時代 |
旧石器
|
主な遺構 |
遺物集中1
|
主な遺物 |
槍先形尖頭器
|
特記事項 |
'"縄文時代後期、称名寺期の舟形土器が出土。"'
種別:包蔵地
|
種別 |
貝塚
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
縄文土器(前・後・晩)
|
主な遺物 |
|
特記事項 |
主な時代:縄文後・晩期 |
種別 |
集落
|
時代 |
中世(細分不明)
近世(細分不明)
|
主な遺構 |
竪穴住居3
土坑62
|
主な遺物 |
縄文石器
貝
|
特記事項 |
|
|
遺跡名 |
下花輪第3遺跡 |
遺跡名かな |
しもはなわだい3いせき |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
千葉県流山市谷字大門303-2 |
所在地ふりがな |
ちばけんながれやましたにあざだいもん303-2 |
市町村コード |
12220 |
遺跡番号 |
12 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
355237 |
東経(日本測地系)度分秒 |
1395421 |
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
|
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.8802 139.9026
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19890501-19890818
|
調査面積(㎡) |
4000
|
調査原因 |
道路改良事業に伴う埋蔵文化財調査 |
遺跡概要 |
種別 |
散布地
|
時代 |
旧石器
|
主な遺構 |
遺物集中2
|
主な遺物 |
敲石
|
特記事項 |
種別:包蔵地 |
種別 |
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
|
主な遺物 |
縄文土器(早+後)
縄文石器
|
特記事項 |
|
|
遺跡名 |
三輪野山第2遺跡 |
遺跡名かな |
みわのやまだい2いせき |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
千葉県流山市三輪野山字道六神511-1 |
所在地ふりがな |
ちばけんながれやましみわのやまあざどうろくじんみわのやまあざどうろくじん511-1 |
市町村コード |
12220 |
遺跡番号 |
13 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
355212 |
東経(日本測地系)度分秒 |
1395430 |
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
|
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.8732 139.9051
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19891101-19900328
19900405-19900630
19910212-19910327
19910404-19910531
|
調査面積(㎡) |
5000
|
調査原因 |
道路改良事業に伴う埋蔵文化財調査 |
遺跡概要 |
種別 |
散布地
|
時代 |
旧石器
|
主な遺構 |
遺物集中6
|
主な遺物 |
ナイフ形石器
掻器
槍先形尖頭器
削器
|
特記事項 |
6世紀後葉から7世紀を主体とする集落。竪穴住居から子持ち勾玉・線刻の紡錘車・土鈴が出土。
種別:包蔵地 |
種別 |
集落
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
|
主な遺物 |
|
特記事項 |
|
種別 |
|
時代 |
古墳
|
主な遺構 |
|
主な遺物 |
縄文土器(早+晩)
縄文石器
|
特記事項 |
主な時代:古墳前期 後期 |
種別 |
|
時代 |
奈良
平安
|
主な遺構 |
|
主な遺物 |
|
特記事項 |
|
種別 |
|
時代 |
|
主な遺構 |
|
主な遺物 |
須恵器
石製品
土製品
鉄製品
|
特記事項 |
|
種別 |
|
時代 |
|
主な遺構 |
|
主な遺物 |
須恵器
石製品
土製品
鉄製品
|
特記事項 |
|
|
|
要約 |
[南割遺跡 要約] 南割遺跡は江戸川により開析された小支谷を臨む標高18m〜19mの台地上に立地する。旧石器時代は単独でナイフ形石器1点が出土した。層位は不明である。中・近世は竪穴建物1棟、溝状遺構2条、土坑1基が検出され、竪穴建物から肥前系磁器碗・火打ち石・土師質火鉢などが出土した [上貝塚第2遺跡 要約] 上貝塚第2遺跡は江戸川により開析された小支谷を臨む標高18m〜19mの台地上に立地する。縄文時代は土坑2基が検出された。遺物の出土はなかったが、形態から縄文時代のものと思われる。遺構外から早・前・後・晩期の土器が出土した。早期は撚糸文系・沈線文系・条痕文系、前期は黒浜式、後期は中葉の加曽利B式と後半の安行式、晩期は後半の千網式である。古墳時代は後期の集落が検出された。比較的高密度の分布である。竪穴住居の歴年代はいずれも6世紀代で、前葉から中葉を主体とする [上貝塚第1遺跡 要約] 上貝塚第1遺跡は江戸川により開析された小支谷を臨む標高18m〜19mの台地上に立地する。縄文時代は遺構の検出はなく、表土中から各時期の土器が少量出土した。主体は後期である。早期は条痕文系、前期は黒浜式・浮島式、後期は前葉の称名寺式・堀之内式、中葉の加曽利B式、後半の安行式、晩期は前半の土器が出土した。中・近世は17世紀代とみられる土坑墓が密集して検出され、多量の渡来銭や、カワラケ・人骨が出土した [上貝塚貝塚 要約] 上貝塚貝塚は江戸川により開析された小支谷を臨む標高18m〜19mの台地上に立地する。旧石器時代は石器集中地点が1か所検出された。槍先形尖頭器が多く出土し、調整剥片もみられるので、その製作跡と思われる。縄文時代後晩期の馬蹄形貝塚をもつ遺跡であるが、今回の調査は貝層主体部からはずれた西側・南側が対象である。貝はサルボウガイ・ハマグリ・アカガイ・シオフキガイがあり、破砕貝もみられる。土器は称名寺式・堀之内式・後期安行式・晩期が出土した。竪穴住居が3軒検出され、2軒は堀之内1式、1軒は後期末から晩期初頭の時期である。また土坑が多数検出された。貝層出土土器の中には称名寺式の特殊な舟形状土器がある。中・近世は土坑や溝状遺構があり、カワラケや寛永銭などが出土した [下花輪第3遺跡 要約] 下花輪第3遺跡は江戸川により開析された小支谷を臨む標高18m〜19mの台地上に立地する。旧石器時代は2地点から単独で敲石と礫が出土した。層位は敲石が7層、礫が3層である。縄文時代は土坑10基が検出されたが、遺物の出土はない。土器等の遺物はその付近から多く出土した。土器は前期が主体で、黒浜式が多く、浮島式・諸磯式と続く。そのほかに早期末から前期初頭の条痕文系・花積下層、中期の阿玉台式・加曽利E式、後期初頭の称名寺式・堀之内式、中葉以降の加曽利B式・安行1式がみられる。石器は石鏃・石匙・磨石・石皿などがある。近世は肥前系磁器碗1点が出土した [三輪野山第2遺跡 要約] 三輪野山第2遺跡は江戸川により開析された小支谷を臨む標高14m〜18mの台地上及び緩斜面に立地する。旧石器時代は7層及び6層から調整痕ある剥片、4層下部からナイフ形石器・掻器・石核、3層から槍先形尖頭器・削器が出土した。集中地点数は4層が3の他は各1である。縄文時代は竪穴住居4軒、土坑10基が検出されたが、住居は前期、黒浜式期のものである。遺構外出土土器は早期から晩期まであるが、黒浜式が多い。石器は石鏃・打製石斧・磨石・石皿等がある。弥生時代は中期、須和田式の土器片2点が出土した。小片であるが、流山の歴史を考える上で、重要な資料である。古墳時代は竪穴住居が約60軒見つかったが、そのうち10軒が前期で、他は後期である。一部に中期的な様相をもつ遺物もあるが、わずかな量であり、前期から後期に集落が継続するとは認めがたい。奈良・平安時代の竪穴住居は12軒で、歴年代は7世紀末から8世紀代が9軒、9世紀代が1軒、不明なもの2軒である。古墳時代後期の竪穴住居は7世紀代のものも多く、奈良・平安時代の集落は継続する集落である。中・近世は土坑や溝状遺構が検出され、寛永通寳等が出土した
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