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河原城遺跡Ⅰ

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/30405
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.30405
引用表記 財団法人大阪府文化財調査研究センター 2000 『財団法人大阪府文化財調査研究センター調査報告書52:河原城遺跡Ⅰ』財団法人大阪府文化財調査研究センター
財団法人大阪府文化財調査研究センター 2000 『河原城遺跡Ⅰ』財団法人大阪府文化財調査研究センター調査報告書52
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書名 河原城遺跡Ⅰ
発行(管理)機関 大阪府文化財センター - 大阪府
有償頒布・配布ページ https://www.occh.or.jp/?s=book
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな かわらじょういせきはっくつちょうさほうこくしょいち
副書名 南阪奈道路建設に伴う発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 財団法人大阪府文化財調査研究センター調査報告書
シリーズ番号 52
編著者名
編集機関
財団法人大阪府文化財調査研究センター
発行機関
財団法人大阪府文化財調査研究センター
発行年月日 20000428
作成機関ID
郵便番号 5360016
電話番号 0669346651
住所 大阪府大阪市城東区蒲生2-11-3 小森ビル4階
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 河原城遺跡
遺跡名かな かわらじょういせき
本内順位
遺跡所在地 大阪府南河内郡美原町多治井/羽曳野市河原城
所在地ふりがな おおさかふはびきのしかわらじょう/みはらちょうたじい
市町村コード 27385
遺跡番号 131/29
北緯(日本測地系)度分秒 343237
東経(日本測地系)度分秒 1353429
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.5469 135.5719
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19980625-19990520
調査面積(㎡)
9980
調査原因 南阪奈道路建設に伴う事前の埋蔵文化財調査
遺跡概要
種別
集落
時代
古墳
飛鳥白鳳
奈良
主な遺構
竪穴住居跡
掘立柱建物跡
方墳
鍛冶炉
主な遺物
須恵器
土師器
円筒埴輪
鉄滓
フイゴ羽口
特記事項 古墳時代後期 飛鳥・奈良時代に連続する集落遺跡。飛鳥時代前半に竪穴住居から掘立柱建物へと住居構造が変化。奈良時代には、鍛治関連の遺物・遺構がみられる。
要約 古墳時代後期6世紀後葉を中心とする竪穴建物を10棟確認。この集落内部では脂肪酸分析の結果ヒト(乳児?)を葬ったと類推される土器棺を検出。集落西側の段丘緩斜面で方墳を複数確認しており、小児墓は集落に接して、成人墓は集落西側にと分離した状態で墓域が形成されている。段丘東側斜面の開析谷の湧水地点では完形須恵器が廃棄されており、この谷が主要な水汲み場であった可能性が大きい。
飛鳥時代には、2×3間の掘立柱建物が基調となり、建物構造は竪穴建物から掘立柱建物へと変化する。古墳時代以来の建物配置を基本的に踏襲するが、徐々に主軸を南北方向にそろえる傾向をみせ、集落構造に規格性を見せ始める。
奈良時代には、掘立柱建物群は主軸を南北方向にそろえた規格性の高い配置へと変化する。建物群の周囲では鍛冶炉の下部構造とみられる土坑が検出され、フイゴ羽口、鉄滓などが出土することから周辺で鍛冶作業などの金属加工が行われていたと考えられる。

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