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太田・黒田遺跡第78次発掘調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/28004
引用表記 公益財団法人和歌山市文化スポーツ振興財団 2016 『和歌山市文化スポーツ振興財団発掘調査報告書7:太田・黒田遺跡第78次発掘調査報告書』公益財団法人和歌山市文化スポーツ振興財団
公益財団法人和歌山市文化スポーツ振興財団 2016 『太田・黒田遺跡第78次発掘調査報告書』和歌山市文化スポーツ振興財団発掘調査報告書7
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ファイル
書名 太田・黒田遺跡第78次発掘調査報告書
発行(管理)機関 (公財)和歌山市文化スポーツ振興財団 - 和歌山県
書名かな おおた・くろだいせきだい78じはっくつちょうさほうこくしょ
副書名
巻次
シリーズ名 和歌山市文化スポーツ振興財団発掘調査報告書
シリーズ番号 7
編著者名
編集機関
公益財団法人和歌山市文化スポーツ振興財団
発行機関
公益財団法人和歌山市文化スポーツ振興財団
発行年月日 20160331
作成機関ID
郵便番号 640-8227
電話番号 073-435-1152
住所 和歌山県和歌山市西汀丁36番地 
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 太田・黒田遺跡第78次
遺跡名かな おおた・くろだいせき
本内順位
遺跡所在地 和歌山県和歌山市太田
所在地ふりがな わかやまけんわかやましおおだ
市町村コード 302015
遺跡番号 327
北緯(日本測地系)度分秒 341352
東経(日本測地系)度分秒 1351135
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.2344 135.1903
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20131126-20140314
調査面積(㎡)
780
調査原因 集合住宅建設
遺跡概要
種別
集落
城館
時代
縄文
主な遺構
包含層
主な遺物
縄文土器
特記事項
種別
集落
城館
時代
弥生
主な遺構
水田
主な遺物
弥生土器
石器
木製品
特記事項
種別
集落
時代
古墳
飛鳥白鳳
主な遺構
水田
主な遺物
須恵器
土師器
韓式土器
特記事項
種別
集落
城館
時代
平安
中世(細分不明)
主な遺構
水田
土坑
主な遺物
中世土師器
黒色土器
瓦器
土錘
鞴羽口
特記事項
要約 [太田・黒田遺跡第78次 要約]
今回の調査では、縄文時代後期初頭頃に陸化した時期の堆積、縄文時代晩期末の土器片が出土した古土壌を確認し、また、弥生時代前期中葉から後葉にかけての和歌山県内最古の水田と洪水砂による埋没と復旧を繰り返した弥生時代前期末から中期中葉までの水田を検出した。復旧にあたっては大畦畔の新設や畦畔の向きを変えるなどの工夫をし、水田形態を変化させ、少なくとも紀伊第?−1様式の土器が出土する頃には、前期的な灌漑システムが中期的なものに変遷する過程も確認できた。調査地付近の堆積作用が低下する弥生時代中期中葉から後葉には、方形周溝墓や土坑墓、土器棺墓が造られ、水田域であった場所が墓域となる。墓域廃絶後、新たに掘削される溝は以前の溝が南東から北西方向であったのに対して、北東から南西方向に変わる。今までの調査成果でもこれらの事象が確認されていたが、これらの変化が流路の動態に大きく関わっていることが今回の調査で明らかになった。調査地は、弥生時代中期後葉、古墳時代前期、古墳時代後期、飛鳥時代の溝を検出したことから、これらの時期にも水田として利用されていたことが窺え、空白期間はあるものの、平安時代中期以降近代まで水田として利用されていた。

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