奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41252 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132433 件
( 前年度比 + 1748 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147563 件
( 前年度比 + 2123 件 )
現在の文化財論文件数
120576 件
( 前年度比 + 1581 件 )
現在の文化財動画件数
1300 件
( 前年度比 + 116 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

馬場綿内谷遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/27838
引用表記 かながわ考古学財団 2013 『かながわ考古学財団調査報告295:馬場綿内谷遺跡』かながわ考古学財団
かながわ考古学財団 2013 『馬場綿内谷遺跡』かながわ考古学財団調査報告295
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=岳人|last=小川|first2=俊彦|last2=南出|first3=伸好|last3=栗原|title=馬場綿内谷遺跡|origdate=2013-12-20|date=2013-12-20|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/27838|location=神奈川県横浜市南区中村町3丁目191番地1|ncid=AA11275538|ncid=BB14946125|series=かながわ考古学財団調査報告|volume=295}} 閉じる
ファイル
書名 馬場綿内谷遺跡
発行(管理)機関 (公財)かながわ考古学財団 - 神奈川県
書名かな ばば わたうちやと いせき
副書名 高速横浜環状北線埋蔵文化財発掘調査(馬場地区)
巻次
シリーズ名 かながわ考古学財団調査報告
シリーズ番号 295
編著者名
編集機関
かながわ考古学財団
発行機関
かながわ考古学財団
発行年月日 20131220
作成機関ID
郵便番号 232-0033
電話番号 045-252-8689
住所 神奈川県横浜市南区中村町3丁目191番地1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 馬場綿内谷遺跡
遺跡名かな ばばわたうちやといせき
本内順位
遺跡所在地 神奈川県横浜市鶴見区馬場74-4他
所在地ふりがな かながわけんよこはましつるみくばば
市町村コード 14101
遺跡番号 87
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 353022.8
東経(世界測地系)度分秒 1393829.0
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.506333 139.641388
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20110701-20120815
調査面積(㎡)
9468
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
集落
時代
旧石器
縄文
主な遺構
旧石器ブロック1
竪穴住居5
集石4
主な遺物
石器
土器
特記事項 前期の小規模集落
種別
集落
時代
古墳
平安
主な遺構
竪穴住居址16
横穴4
火葬墓4
主な遺物
土器
石製品
鉄製品
特記事項 火葬墓2基は縄文時代貝塚の貝層で埋められていた
種別
集落
時代
近世(細分不明)
主な遺構
道状遺構2
段切り3
掘立柱建物址1
ピット群3
溝6
主な遺物
土器
銭貨
特記事項 集落と街道を結ぶ主要道
要約 [馬場綿内谷遺跡 要約]
馬場綿内谷遺跡は鶴見川右岸の下末吉台地上に立地し、旧石器時代・縄文時代前期・古墳時代後期・平安時代、近世以降と複数の時代にわたり遺構・遺物が確認された。旧石器時代では黒曜石を中心とする石器及び未製品等が出土した。縄文時代前期では竪穴住居や集石等を確認し、小規模な集落が存在したことが認められた。古墳時代後期では、谷戸上に十数棟の竪穴住居を確認した。周辺調査においても当該期の集落の確認例は少なく貴重な資料である。また、集落の近接地に横穴墓が営まれていたことを確認した。居住域と墓域のあり方を考える上で興味深い例である。平安時代では、南武蔵に分布する火葬蔵骨器が出土し、また縄文時代貝塚に由来する貝殻が被せられていたことが確認されるなど、この地域における墓制のあり方を考える上で新たな資料が蓄積された。近世では比較的規模の大きな道路跡を確認した。旧馬場村と綱島街道をつなぐ主要道であったと考えられる。こだいに敷設された道路工法と共通する工法が近世においても踏襲されていることを確認した貴重な例である。。 

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 339
ファイルダウンロード数 : 0

全国のイベント

外部出力